plenty解散について、シンプルに書いてみた。
plentyのライブは、いつも観客が呆然と立ち尽くしている。
ある意味、地蔵現象なわけで。
興味がなさ過ぎて地蔵の様に固まっているのではなく、興味があり過ぎて地蔵の様に固まる。
つまり馬鹿騒ぎではなく、胸騒ぎ。体踊るではなく、心踊る。
胸騒ぎするから、心踊り、そこから馬鹿騒ぎして体踊るに繋がるのは、まだわかる。
馬鹿騒ぎして体を踊らすだけなら、別に対象は音楽じゃなくて良い気がするし、みんな同じように騒いで、同じように踊るのであれば、それは単なる同調意識なだけ。
学生の頃の随分と昔の話になるが、とあるライブで、あまりにも胸騒ぎして心踊り、拳を突き上げたら、知り合いに『ひとりだけ手をあげていたな!』と嘲笑うかの如く言われた事がある。
和を乱したとでも言いたかったのだろうか。
ひとり目立ちたくて、『誰も手をあげてない中、ひとり手をあげてる通な俺どうよ?!』という気持ち悪い自意識過剰とでも思われたのだろうか。
そんな同調圧力は糞喰らえだ。
まぁ、ここまで考える事が逆に自意識過剰なのだろうが、単純に音が楽しくて自然に胸騒ぎして心踊る事が音楽だと信じている。
そろそろ本題に戻さなきゃ。
plentyのライブで静かに小刻みに体を揺らしていただけの観客が、ぽつぽつと何かが徐々に芽生えるかの如く、終盤に手を上げだす瞬間が好きだ。
ずっと湯を沸かしていたヤカンが急に沸けて音を鳴らす感じというか。
別に決して我慢していたわけではないんだろうが、一気に解き放たれた感じというか。
わかりやすくフェスやSNSでバズらせないと生き残りにくい時代だけど、こんなバンドがいても良いと想う。
plentyのライブは、自由に音を楽しめる。
同調意識や同調圧力なんてものは、そこには存在しない。
だから、何度でも行きたくなる。
なのに9月の日比谷野外音楽堂でのライブを最後に解散してしまう。
現在ラストツアー中であり、僕も今月頭ツアー初日に足を運んだ。
とにかく有無を言わさず、引きずり込んでしまう凄みがある。
突き抜けていく異様な広がりもあるからこそ、もっともっと大きな場所で観たかった。
大阪は7月1日(土)なんばハッチを残すのみ。
ツアーラストとなる名古屋や本当のラストである日比谷野音に行けない方は、是非観に行ってほしい。
正直、その日、大阪はたくさん良いライブがある。
でも、plentyはラスト・・・。この機会を残したら、もうワンマンは観られない。
てなわけで、そんな想いをABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』でも喋ったのでした。
良ければ、そちらもradikoのタイムフリーやLINE LIVEかなんかで聴いてみてください。
おあとがよろしいようで…とは、まだ言えないplenty大阪ラストライブ前日であります。