LOVE FESTIVAL。
ふと想い出した事を平成最後の年の瀬に書き残しておきます。
多分、10年くらい前、とある大型フェスに御招待頂き、行かせてもらった。
当たり前の如く、たくさんのキッズが移動していて混み合っていたのだが、普通の繁華街でもある混み具合。
かかっても5分。
一緒に招待してもらっていた後輩が、どうにも、その状況に耐えきれ無かったらしく、横にあった関係者通路を使おうと提案してきた。
ライブレポートで入ってるなら急がなきゃいけないが、別にライブレポートでも無いし、
何とか急いで観たいステージがあった訳でも無く、先述の通り、ちょい混み5分。
で、結果関係者通路で3分。
確かに短縮になったが、50分が30分ならまだしも、5分が3分なら、たいして必要な作業ではない。
『ドウセンがなってないんですよ!』
むちゃくちゃ後輩はプリプリしていたが、私は未だに導線なのか動線なのかもわかってないレベル。
約20年前・・・、要はフェス黎明期、そして、その前の野外大型イベント時代から、こういう催し物には行っていた。
そりゃ、混まない事にこした事は無いが、多少の混みは、その頃から諦めていた様に想う。
そして、その頃と大きく違うのは、ステージの数。
黎明期、そして、それ以前は基本1ステージ。
現在の様な複数ステージやないので、いわゆる導線もしくは動線も、そないに問題にならなかったのだろう。
観客人数も違っただろう、今と昔じゃ。
例えば、当時はマニアックコアなロック好きが観客にも多かっただろうが、
今はアウトドアレジャー的というハロウィンの様な何かしら元気にお出かけしたい観客も多くなってきてるだろう。
時代の流れもあるし、それはそれで、人の好みなんで。
こういう私みたいな屁理屈人間でもフェスの仕事、ライブレポートなんかもやってるが、最近よく言われるテンプレート的な原稿を書く事は無い。
つまり、最初から綺麗にまとめるつもりが無いのだ。
書きたい事しか書かない。
見所ポイントが多ければ、文字数も自然に多くなるが、基本は、この時代、文字数が多いと誰も読まないので、なるべく短くコンパクトにしたいとは考えてる。
あっ、意味のある長文は良いんですよ。
ただ、長けりゃいいってわけじゃ無いって事ね。
後ひとつ、昔と変わったのは、普段のライブレポートより、フェスレポートを書いた方がチヤホヤされやすくなった。
昔は別にフェスレポートをやっても、今ほどチヤホヤされなかった。
熱狂的に執着的に盛り上がる文化というより、ただただ明るく楽しく盛り上がる文化に変わってきてるから、そういう現象が起きるのだろう。
これがまた不思議なもんで、色々と自分はフェスに対して言うのだが、フェスに来た事無い奴やフェスレポートした事無い奴に、あーだこーだ言われると腹立つ。
昔、知り合いである先輩方が関わってるフェスクイックレポートを、
たいしてフェスに来た事無くて、たいしてフェスレポートした事ない現場を全く知らん奴がネットで、
あーだこーだ言った時は、先輩方に代わって勝手に激ギレしたもんである。
だからと言って、たくさんフェスやライブに数行ってる人が偉いとか凄いとかも学生時代から全く想ってない。
さっきのライブレポートが長けりゃいいってもんじゃないっていうのと同じ論理ね。
もちろん、行くにこした事はありませんよ。
全く行かなくてグチャグチャ言う奴は、机上の空論ですから。
が、やはり量より質やとは想います。
そうそう、今年はラジオで『舞子ビラフェス』をやりたいと言いまくった。
お子連れの知り合いの話を聴くと、やはり中々、お子がいなかった頃の様にはフェスへ行けないという。
舞子ビラの様な室内空間のホテルで開催するフェスなら、トイレやレストランのホスピタリティが万全だから、お子連れでも安心。
庭もあるし、お子用プールもあるし、歩いてすぐには海もある。
もちろん帰りしなは泊まっても良いし、電車でもJRで普通の日帰りお出かけレベルだから、遠出フェスの様な疲弊も無い。
ホテルの中だから導線or動線で、さほど揉める事も無いだろう。
お盆の東京地域ホテルや地方旅館でも、こういうジャンルの催し物は増えている。
ただ、お子に関しては、以前ハンバートハンバートが『お子様同伴でのご入場につきまして』という注意書きもしていたが、他のお客様の迷惑になってはいけない。
あくまでルールマナーモラルあってのお子参加なんで、野放しと自由を履き違えてはいけない。
そういう意味では、この『舞子ビラフェス』は、他のお客様に迷惑かからない様に、お子を避難させて遊ばせるスペースが充実している。
決して大型フェスではないが、閉じはしていない開かれたフェスになると信じている。
まぁ、それなりにフェスへの愛や想い出はあるのだ、あーだこーだ小言文句を言う割には。
自意識の高い自己満足や自己アピールだけの愛ではなく、ただただ泥臭いが真っ直ぐ過ぎる偏愛(良くも悪くもね)。
それが私の『LOVE FESTIVAL』。
おあとがよろしくないようで。
追伸
2018年ありがとうございました。
2019年も宜しくお願いします。
サニーデイ・サービス丸山晴茂さん。
7月15日日曜日の朝、というか正午前、事務所からメールを頂き、サニーデイ・サービスのドラマーである丸山晴茂さんが亡くなった事を知った。
一斉メールでもあったし、どう返信して良いかもわからず、取り急ぎサニーデイ・サービスをデビュー時から取材されていたライター兵庫慎司さんに連絡を取る。
まぁ、それくらいしか出来なくて、家でサニーデイ・サービスを聴きながら、何か追悼文をTwitterで書こうかと想ったところで、ありきたりな文章しか出てこず、中途半端なRIP的な野次馬文章になるなら何も書かない方が良いと想った。
でも、サニーデイ・サービスは間違いなく90年代の青春のバンドである。各アルバム各楽曲に色々な想い出がある。何か書かなければと悩みながら、結局日付変わる手前くらいに『夏は行ってしまった』のYouTube動画と共に『御冥福をお祈りします』的な短い言葉をTwitterでつぶやいた。
翌日、兵庫さんがブログに追悼文を書かれていて、連絡があり、『あなたも書きなさい』と言われた。普段、何かしら命令口調で言われると必ず反発する私だが、今回ばかりは本当に何か書かないといけないと想った。
まぁ、ぶっちゃけデビュー時代から取材している人の追悼文を超えるものはないし、それこそライターを代表して、追悼文ひとつでも良いんじゃないかなとも想う。
ただ兵庫さんより約10歳下の私、つまりサニーデイ・サービスより歳下のライターであり、ファン時代があったライターとしては誰も何も書いてないわけで。
なので、自分が書ける事を書こうと。
90年代、いちファンとしてライブを観ていた時、MCでも曽我部さんと田中さんは客席も向かず、ふたり向かい合って楽しそうに話していて、それを後ろから眺める晴茂さんというイメージだった。
98年のアルバム『24時』ではレコーディング中に体調を崩されていた事がライナーノーツに書かれていたし、第一期サニーデイのラストアルバム『LOVE ALBUM』では、もはや晴茂さんはレコーディングにも参加しなかったなんていう話も聴いていた。
寡黙で少し不健康な人で、ドラムもパワー溢れるというより、ローファイというか飄々というか。
2005年頃からだろが、曽我部さんや当時のサニーデイ・サービススタッフだった人たちとお話できる機会が増えた。
今回も曽我部さんがパンクスやロックンローラーと振り返っておられたが、あの見た目、あのプレイからは想像できないのだが、みんなパンクスやロックンローラーという表現を晴茂さんに使う。
アルコールの問題を抱えていた事も曽我部さんは触れていたが、酒を浴びるように呑むなんて、まさしくパンクスでありロックンローラー。
改めて書くが、あの見た目、あのプレイで破滅型のパンクスでロックンローラーなんていうギャップに驚く。
個人的に、この人がパンクスであり、ロックンローラーであると認識できたのは、解散後、雑誌『Quick Japan』でライター北沢夏音さんからうけたインタビュー。
曽我部さんから解散を言い出されたシチュエーションを最悪で頭にきたと言い切り、曽我部さんの我儘には付き合いたくなかったが、解散は単純に悔しくて、チキショー!と語った。
再結成への想いも聴かれ、『サービスでしかない』と吐き捨てる。
この人、むちゃくちゃかっこいいなって痺れたのを覚えてる。
その後、サニーデイ・サービスは2008年に復活して、もちろんライブも観に行ってるし、楽屋挨拶も行ったはずだ。
でも、曽我部さん田中さんと挨拶がてら話す事はあっても、晴茂さんとは会釈をするタイミングすらなかった。
いつか必ずインタビューで、第一期サニーデイ・サービス時代、解散の時の想い、で、『サービスでしかない』と吐き捨てながら、何故再結成に至ったかを、晴茂さんに聴きたかった。
2016年に長引く体調不良から、サニーデイ・サービスの活動から離れた晴茂さん。
離れる直前の晴茂さんの体調不良な様子も少し知っていたので致し方はないと想いつつ、ずっとサニーデイ・サービス=3人という認識があった為、寂しさは否めなかった。
サポートドラマーの素晴らしいパワードラムを観る度に、あの晴茂さんのローファイというか飄々としたドラムというふりが効いていたから、より際立ったのかも知れない、今から想うと。
結果、何が書けたのか全くわからないが、書く事によって、晴茂さんを振り返る事は出来たような気がする。
とにかく、晴茂さん本当に47年お疲れ様でした。
心から御冥福をお祈りします。
平和。
阪神淡路大震災の時は、高校2年生の16歳。
芦屋の我が家は全壊判定を受けた。
中に入れない我が家を観ながら、今まで収集してきた週刊プロレスを始めとする雑誌、ハリウッド映画を中心としたパンフレット、学研漫画シリーズ、ウルトラクイズ本、小説、CDなどなどを取り出す事が出来ない悲しさ虚しさ切なさ悔しさを感じたのを未だに覚えてる。
不思議な事に死の恐怖は揺れてる時に一切感じず、学校も休みでただただラッキーと喜ぶ能天気な日々、やれる限りの家の整理も避難場所手配も仮設住宅手配も奔走するのは全て母親。
祖母と僕の為に、当時40代後半で、まだエネルギッシュだった母親は毎日必死に動いてくれていた。
ぼーっと僕は過ごすのみで、感謝をしていないわけではないが、当たり前のように日々は過ぎていく。
今回の地震は、母親と暮らす芦屋のマンションで迎えた。
芦屋に関しては阪神淡路大震災時の方が震度は上だったが、当時のぐっすり寝ていた明け方ではなく、個人的にはほぼ目を覚ます8時という時間だったので、よりリアルな恐怖があった。
本棚の倒壊に怯え、すぐ自分の部屋から廊下に飛び出て、同じく自分の部屋から廊下に飛び出た母親と落ち合い、軽く肩を抱える。
揺れがおさまり、リビングに向かうと床に積み重ねていたCDが崩れ、母親の飾り棚の引き出しが開きっぱなしになり、貴金属などが散らかっている。
阪神淡路大震災から数えると23年コレクションしてきたCDの散らかり具合を見た時、当時の様な異様な執着心は無く、逆に自分の収集癖が天災で一気に否定されたような悲しさ虚しさ切なさ悔しさがあった。
同じ悲しさ虚しさ切なさ悔しさという感情でも当時と意味合いは完全に違い、そんな事よりも母親と自分が無事だった事に安堵する。
そして長い間、CDを元に戻す気持ちに全くならなかった。
翌日、ABCお笑い新人グランプリ予選を去年に引き続き見学させてもらったが、明らかに去年より全体のレベルが高く、とても面白かったというのもあるが、のんびり昼間から5時間60組もお笑いを鑑賞できた事に、何とも言えない安らぎを感じる。
その後、一緒に鑑賞した面子と決勝に残る12組の予想を肴におでん屋で呑む。
サッカーワールドカップの日本初戦も始まったので、店員や他の観客と一喜一憂しながら観戦する。
馬鹿騒ぎではなく、胸騒ぎを信じている身としてはイベント的に知らない人間と大人数で観戦するのは大嫌いなはずだが、この時ばかりは場のハッピーな空気を心から楽しんでいた。
あぁ、予想以上に地震によって心が凝り固まり、今それが笑いとスポーツという娯楽を他人と共有する事でほぐされているのだなと気付く。
何よりも今が平穏だからこそ娯楽を心から堪能できるのだ。
今回の地震もこれで終わったわけでなく、当分は余震を気にしなければいけないし、また違うタイミングで別の本震が来る可能性だってある。
常日頃、或る意味、神経は研ぎ澄まさなければいけないし、そんな中で娯楽が息抜きになれば良い。
音楽に関して言うと、とにかく穏やかな音楽が聴きたかった。
なので、地震から3日後のABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』第221夜のオープニングは、そんな想いをこめて土岐麻子さん『City Lights』から槇原敬之さん『今日の終わりにありがとうを数えよう』を繋げた。
エンディングは、エレファントカシマシ『なぜだか俺は祷ってゐた』。
この3曲を流せば、別にダラダラ喋らなくても全てが伝わると想った。
先程、平穏だからこそと書いたが、甲本ヒロトさんにインタビューでお逢いした時、『音楽で平和にしようではなくて、平和だからこそ音楽が出来るんだよ』と言われた事が印象に残っている。
平和の有り難みを特に感じず娯楽一直線だった当時と、今やその娯楽が仕事になったとはいえ、家族で平和に暮らせる事の有り難みを一番に感じるようになった今。
流石に40歳にもなると思考回路が変わったなと色々想い返した1週間。
ずっと平和な日々が続きますように。
心は売っても、魂は売らない。
ABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』第219夜。
何故か半年前、謎の逆オファーによりaikoさんが番組に出てくれて、今回も出演してくれました。
ラジオ好きのaikoさんがラジオ仲間のクリープハイプ尾崎世界観君から噂を聴き、ヘビーリスナーになってくれていたのが謎の答えだったわけで。
番組内でも言ってますが、僕はaikoさんのヘビーリスナーだったわけではないし、これまで番組でaikoさんの楽曲を流した事もありませんでした。
それがまさかのラッキーな出逢いで番組を贔屓にしてくれ、ぶっちゃけ、その効果でリスナーさんも増えましたし、はじっこ番組にaikoさんが出たと大変話題にもしてもらいました。
あくまでラッキー出来事であり、当たり前ですが浮かれる事もないし、すがりすぎる事もしがみすぎる事もないし、基本は高校生の時からずっと大好きだった是枝監督をしっかり特集したり、地元の同世代バンドDOBERMANをしつこく推したりという番組らしさ、まぁ、というより自分らしさを忘れてはいけないなと改めて思っとります。
あくまで、そこがあるからaikoさんの様なビッグサプライズが映えるわけで。
サブカルやオタクという言い方は、あまり好きじゃないのですが、流行旬に振り回されず、売れる売れないにとらわれず、ただただ自分が好きな演者(もちろん売れる気がある演者)を多くの人に広げる届ける、知ってもらう精神を忘れないようにしたいなと。
いわゆるカウンターカルチャー精神。そういう意味ではaikoさんのような方が出てくれる事で番組が注目を浴びるのは有難いとしか言い様がないし、良い意味で乗っかり、今まで通りの番組らしさをねっちょり出していけたら幸せです。
良い意味でのウィンウィンですね。
来週6月14日(木)夜10時〜深夜1時は、『オープニングトーク180分SP』てなわけで、ただただ原君とふたりオープニングトーク延長戦上で180分喋ります。
オープニングトークが大好きと言って下さるaikoさんに応援コメントも頂いてます。
もちろん、ちゃっかり乗っかります、そこは。
てなわけで原点を忘れず、ただ異様な触れ幅を出せる時は、しっかり出して、かっこよくカタカナで言うとオルタナティブな番組、普通に日本語で言うと型にとらわれない番組としてやっていけたらなと。
山下達郎さんの言葉で、大根仁監督も大好きな言葉ですが、『心は売っても、魂は売らない』。
心を売るは決してネガティブな意味やなく、達郎さんでいうとタイアップの時などに依頼者やお客さんが求めてるものにプロとして答えていくという事。
その言葉通り引き続き頑張りますので、何はともあれ6月14日(木)を宜しくお願いします。
180分オープニングトーク聴いてね〜。
『「HEY!HEY!HEY!に出たかった」が「HEY!HEY!HEY!に出た」になった日』を書き終えて。
四星球の『HEY!HEY!NEO!』収録丸1日同行レポ『「HEY!HEY!HEY!に出たかった」が「HEY!HEY!HEY!に出た」になった日』。
Twitterを見る限り、大変多くの人に読まれていて嬉しいです。
「泣けた」という感想が大半でしたが、とにかくレポを自分が泣いた事や泣きそうになった事を、そのままありのままに書こうと想ったきっかけがありました。
収録後、四星球のライブを観た事がある知り合いに収録内容を教えて欲しいと言われて、全てを伝える中で思わず感動して泣いた話も普通にしたら、
『えっ、鈴木さんが泣いたんですか?!』と驚かれてしまった。
えっ、あなたライブ観た事ありますよね?!キャッチフレーズは『日本一泣けるコミックバンド』ですよね!?
四星球のライブに魅力を感じている人でも、自分が体感していないライブなら泣く事に悪気なく驚いてしまう・・・でも『HEY!HEY!HEY!に出たかった』と歌う四星球が『HEY!HEY!HEY!に出た』ら、そりゃ泣くでしょうというのをシンプルに伝えようと。
通好みの人には距離感ある客観的なちょっと斜め冷静視点からのニヤっとする面白ツッコミ分析批評な文章がウケて、
バカのひとつ覚えみたいな真っ直ぐエモーショナル泣きの熱文章はバリクソ敬遠されるのも普段からよくわかっていたのですが、今回は敢えてバリバリの後者にしました。
通好みの人より、大衆の人に普通に何か感じてもらった方が断然良いので。
裏側なんか知らなくていいと言う人の気持ちもわからんでもないですが、これは裏側知らなアカンと本気で想ったんですよね。
結果ああいう文章になりました。
何のギミックも無いド直球な、ただただ自分が泣いた、自分が泣ける事をシンプルに伝えたいなと。
『岡崎体育君がバンドざまーみろと言ってましたが、皆様にはバンドの生きざまをみてもらってます』なんて言う康雄君のひとことも、僕は特に深く何も考えず、ただただ真っ直ぐにエモーショナルに揺さぶられて泣いてまいました。
そんなノリで書いたら、何かしら四星球の事が伝わると想った訳です。
まぁ、レポなんて本当は蛇足かも知れませんし、そのレポの裏側なんてもんを今書いてますが、そんなもんは、もっと蛇足かも知れませんが、
何かしら四星球の「『HEY!HEY!HEY!に出たかった』が『HEY!HEY!HEY!に出た』になった日」をリアルに体感して頂けたら幸いです。
偏った愛情で恥ずかしげなく泣くのも悪いもんじゃないですよ。
そこから何かしら必ず広がっていきますから。
僕が泣いたのを不思議がっていた知り合いも、実際にOAを観たら泣いたそうです。
まぁ、そりゃそうでしょう。
とにもかくにも、四星球が全国に知れ渡りますように。
おあとがよろしいようで。
ライター1GP。
odolの新曲を6人のライターがクロスレビューしている。
やっぱり読み比べてまうし、そこはライター陣も意識したはず。
個人的には1等賞と2等賞は勝手に決めたりした。
そうそう、いっその事、『ライター1グランプリ』とかやったらどうだろう。
優勝したら好きな表紙や好きな連載や賞金とか御褒美を貰えるなんてしたら、出場者の士気も上がるのではなかろうか。
それによってライターを目指すキッズが出てきたら嬉しいし、若手ライターにとっては一気に知られる大チャンスにもなる。
切磋琢磨する事で雑誌界(活字界)が盛り上がったら最高。
じゃあ、ルールはどうする?・・・レビューだけ?・・・いやインタビューも?・・・じゃあ、それぞれのお題対象は?
大変やろが、考えただけでワクワクする。
ほしたら、審査員は?・・・活字系の文化人?・・・各雑誌(活字)メディアの編集長?・・・大御所(先輩)ライター?・・・事務所などの業界関係者?・・・演者?・・・一般読者?
何よりも出場ライター歴をどうするか?・・・10年?・・・15年?・・・誰でも?
完全なる若手グランプリにするか? odolのクロスレビューみたいにキャリア関係無しのグランプリにするか?
何よりも、中堅ライター大御所ライターの動向が気になる。
まぁ、僕にとっても他人事やない話ですが・・・出来れば運営側に回りたい!
冗談はさておき、誰かマジで企画してくれへんかな。
ABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』について。
昨夜発表しましたが、ABCラジオ『よなよな火曜日・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』は3月27日(火) で終了して、4月5日(木)からABC『よなよな木曜日・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』を開始します。
簡単に言うと枠移動であり、出演者も内容も何も変わりませんが、気分的には新番組であったりリニューアルであったりと何かしら言いたくもあり。
実際、『よなよな木曜日・・・なにわ筋カルチャーBOYZ☆Z』なんて勝手に言ってますが。
冗談はさておき、2014年4月1日(火)に初回を迎えた番組も丸4年で200回も突破しました。
ライターインタビュアーという雑誌裏方の人間が毎週3時間生放送するという有り得ない番組だけに、最初からゲストブッキング含めた構成もアシスタントも基本的には全て決めさせてもらえました。
しかし、例えゲストがいようと例え楽曲を流そうと、AMラジオ番組のパーソナリティとして自身をさらけ出さなきゃ成立しません。
未だに毎週本番前は不安になりますし、本番後は自己嫌悪に陥りますが、やはり本番はとてつもなく遣り甲斐を感じます。
もちろん楽しいですが、一度も楽と想った事はありませんし、毎週ラジオ3時間生放送に出させて貰うなら、2番手3番手くらいで気楽に気軽に話せたら楽しいし楽だしなんて想いますが、まぁ、それだとあまり意味ないでしょう。
特に僕の場合は自分が出たいのではなく、あくまで自分が良いと想う演者や作品を世の中に出すお手伝いをしたいだけなので。
あの人が推すものは確かだという個性や熱情は必要ですが、自分が演者であったり作品であったりでは無いので。
ちょうど5年くらい前から雑誌やwebという活字媒体だけでは物足りなさを感じていて、だからといって東京へ拠点を移すのも意味を感じず、活字になる前の言葉をそのまま口で伝えるラジオに興味を持ちかけていました。
とにかく新しい武器、新しい切り口が欲しかったのです。
そしたら偶然にもABCラジオから声をかけてもらい、トントン拍子に事が運びました。
僕はABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』という新しい武器、新しい切り口を手に入れる事が出来ました。
色々特番にも出させて貰いましたし、40年続く朝の帯番組代打もやらせて貰ったりと、本当に貴重な体験をさせて頂いてます。
全ての関わって下さっている皆様には、心から感謝しています。
ただ4年も毎週やっていれば飽きもありますし、特に求められていないのではという被害妄想にもよく陥りますが、自身が矢面に立ってるとはいえ、やはり結果最終目的は自分が好きな演者や作品の応援後押しなので、心身持つ限りやり続けたいなと想います。
この4年で肥えたし禿げたし独り身だし神経もすり減りましたが、『いやぁ、もう、とにかく良いのよ・・・。だから、売れて欲しい!絶対に広げたい!』という演者や作品への異様な興奮は相変わらず何事にも替えがたいです。
これからも流行旬に惑わされず、そして閉じたり囲ったりも無く、ただただ自分の好きな演者や作品を信じて、それらの物語を大切にした上で多くの人にラジオを通してお伝え出来たらなと、綺麗事ではなく本気で想います。
何よりもライターインタビュアーという雑誌の裏方がラジオで喋っているという特性も忘れないようにしたいです。
もちろんパッションとユーモアも忘れずに。
皆様、引き続き『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』を宜しくお願いします。