『ラジオで生対バン2017冬』を終えて。

ABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』第194夜。


『ラジオで生対バン2017冬』。


セックスマシーンVSハンバートハンバート


見届け人はスチャダラパーBose氏。


観客がいない前で、いつも通りのライブをラジオスタジオでする。


そして、もちろん生放送される。


役得だがリハーサルも観れる訳で、しっかりと僕は両バンドのリハーサルを観た。


やはり慣れないところでライブをやるのは凄く緊張するもので、過去2回出ているセクマシも、そこは変わらない。


初出場のハンバートの場合はBoseさんとのコラボもあったし、相当の緊張だったと想う。


それを乗り越えて、最終は人を楽しませる訳で、ほんま不思議なもんである娯楽って。


あっ、ひとつ物凄く想ったのは今回のマッチメイクは例えるなら異種格闘技戦であって、普段は絶対混じり合わない二組。


そこが過去2回のロックバンド対決とは大きく違う点。


いわゆるフォークデュオと言われるハンバートとロックバンドと言われるセクマシが、どう混じり合うのかが焦点。


結果は聴いて頂いたらわかるが、見事に混じり合った。


以前にも書いたがサウンドジャンルが違いすぎる対バンだと、両方の観客が戸惑って、とっちらかる場合がある。


で言うとラジオだと観客がいないから、その心配はない訳だし、また観客がいないからこそ、やりにくいとも言える。


もはや、この時点で普通の対バンではないし、普通の対バンではないから、このマッチメイクが出来る。


何が言いたいかと言うと、完全に新しいコンテンツが出来上がったって事。


過去2回は自分のラジオ番組発信という事で、自分の感情が高揚したりとか緊張し過ぎて真剣に見すぎたりと、そこで留まっていたが、


今回は凄く客観的俯瞰的に見えた瞬間があって、観客として楽しめたからこそ、冷静に色々と考えられた。


要は普段の対バンでは絶対やらない2組をラジオ対バンだからこそマッチメイクする。


もちろん、そこには物語が無いといけないし、普段絶対やらないマッチメイクを楽しんでくれるユーモアある演者でないといけない。


いわゆる、それを発案交渉実現するのがブッキングする人=ブッカー、つまり仕掛人


そして全体を仕切るプロデューサーと、現場を仕切るディレクターがいて、何よりも大切な音響チームがいる。


3回やった事で、完全なるフォーマットがABCラジオ制作音響チームにはあるわけで。


ブッカー仕掛人は、まぁ細かく言うと前回にも書いたが今回セクマシにハンバートを対決させる事は原君発案であり、


僕はハンバート事務所に連絡して社長と話して、後は連絡を常に取り合い、ハンバートメンバーおふたりにもツアー先の広島で趣旨や当日の状況を細かく説明して、色々と話を交わした。


制作音響チームがいて、ブッカーが出来るパーソナリティーがいれば、この『ラジオで生対バン』というコンテンツは完成なのです。


流石、テレビバラエティー畑出身のプロデューサーという事もあり、お笑いグランプリ番組やプロレス格闘技番組を彷彿させるユーモア溢れた演出もあって、これはAMならではなとも想った。


見届け人=チェアマン=実況解説なる役割を置く演出もそうだし。


対バン前後の実況、それも出番終えた演者も交えてであったり、終わったばかりのライブ音源をみんなで聞き直したり、色々なアイデアが盛り込まれてる。


前回、今回と出演してくれたBoseさんがプロレスやお笑いに例えて話してくれたりしたが、その中でも『ラジオなのに、何でテレビ的発想なんだよ!』と笑ってくれたのも嬉しかった。


あっ、だから結局何を最終言いたいかと言えば、この『ラジオで生対バン』というコンテンツは『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』という番組から全くもって離れた独立したコンテンツに今後なっていく可能性あるなと。


フォーマットは残した訳ですから、優秀な制作音響チームがいて、愉快なブッカーパーソナリティーがいたら何の問題もない。


よしんば番組が無くなっても、このカルチャー遺産が世に残ったのなら本望だし、そうなったら少しは自分もカルチャーに恩返しが出来たのかなと。


自分の番組の企画というより、みんなの企画になったなと。


M-1グランプリ』みたいに毎年冬の風物詩になって、将来未来『元々は昔あった『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』という毎週火曜夜10時〜深夜1時でやっていた番組から生まれた大会なんです!』なんて説明されたら、それはもうカルチャー歴史、カルチャー教科書に名を刻んだも同然なんで。


これぞ立派なカルチャー伝承。


と、どえらい大妄想をしていますが、今年の僕な素直な感想で御座います。


感覚感情で突っ走る人間なんで、僕の『これ、いいですね』『あれ、おもしろいですね』のひとことに、どれだけ重み深みがあるかはわかりませんが、『ラジオで生対バン』には心の底から、『いいですね』『おもしろいですね』と想っとります。


『ラジオで生対バン』という企画に立ち会えて誇りに想っているし、まぁ、こんな視点の堅苦しい話も本当はいらなくて、


カルチャーなんて娯楽なんて楽しけりゃ良いだけなのかも知れないけど、そこは裏方視点として許して流してもらえたらと。


将来未来、全く自分から手が離れた『ラジオで生対バン』を是非体感したいです。


カルチャー裏方として、それが何よりの御褒美であり、幸せなので。


ハンバートハンバートクルー、セックスマシーン、応援支援してくださった関係者皆様、ABC制作音響チーム皆様、原君、何よりも聴いてくださったリスナー皆様、本当にありがとうございました。


もう、これでカルチャー人生に何の悔いもありません。


あっ、でも還暦までは何かしらカルチャー仕事をして生き延びたいです、何せフリーランスなもんで、すみません。


それでは、おあとがよろしいようで。


本当にありがとうございました!

冬にして君を想う。

雑誌『POPEYE』付録の小冊子『Olive』に掲載されている小沢健二によるコラム。


岡崎京子原作漫画の映画『リバーズ・エッジ』という一見カルチャー好きにしかわからない狭い入り口。


『笑われようが、批判されようが、勘ぐられようが、ぼくは生きようと思います。なんて、ね。』


なのに、出口は普遍的な強いメッセージ。少しのユーモアを和えながら。


常に最新流行旬の世界を追いかけてるミーハーなボーイにも、この50歳を前にしたおじさんのメッセージが響けば嬉しいな。


このおじさんを小難しく語るのはナンセンスで、大衆的に普遍的に語るべきなんだけど、それだとミーハーなボーイにはかっこよくないのかも知れない。


でも、ちょっと時代錯誤な強い気持ち強い愛を信じてみたら、シティなガールに好かれるかもよ。


ポパイがオリーブと出逢ったように。


おあとがよろしいようで。

『ラジオで生対バン2017冬』取り扱い説明書及びガイドライン。

今年2月リリースの『ウルフルズTribute〜Best of Girl Friends〜』が本当に素晴らしくて、ABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』で特集をしました。


その中で取り上げた1曲がハンバートハンバート『SUN SUN SUN'95』。


楽曲に入る前に佐野遊穂さんの小芝居が入るのだが、まさにウルフルズのユーモアを見事に理解した演出で、参加ミュージシャンの中でもユーモアポイントをトリビュートしたのはハンバートだけだった。


そこを話した上で、そのユーモアは佐藤良成さんと佐野遊穂さんの母校である和光という学校の校風が活かされてるのではとも話した。


5年くらい前の梅田クラブクアトロワンマンライブレポートを担当した事はあったが、御本人たちにもスタッフにもお逢いした事はない。


そんな中で勝手に話したのだが、Twitterでダイジェスト風にポイントを番組でつぶやいたら、スタッフの方がユーモアトリビュート=和光というポイントを面白がり、Twitterで連絡を下さった。


事務所社長も和光出身という事もあり、話は盛り上がり、次のアルバムリリースキャンペーンでは必ず番組へ向かいますと約束してくれ、7月には生ゲストが実現。


和光の話や新曲MVのロケ地(東京下町)を調べて見学しにいった話などで大変盛り上がり、初対面とは想えない出逢いとなった。


例の社長は立ち会い出来ずであったが、その後、10月の大阪城野外音楽堂ワンマンライブで、こちらとも初対面を果たす。


言わずもがなだが、そのライブは素晴らしかった。


ハンバートは穏やかで牧歌的でほっこりというイメージを持つ人もおられるが、歌詞に込められたメッセージがフォークをルーツにしたメロディで歌われた時、誠にエモーショナルになる。


つまりエモいのだ。


ロックやパンクと並んでも充分に立ち向かえるし、スピリッツとしてはロックでありパンクである。


そうそう我々『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』チームは、その頃ひとつの課題を抱えていた。


2016年に2回開催した『ラジオで生対バン』というABCラジオスタジオでNO 観客マッチでフルバンドで対決してもらう企画。


今年も12月に考えており、出場者1組目は過去2回ともに出場するセックスマシーン。


その相手は誰ぞにするよ?・・・我々は生放送終了後の火曜深夜2時過ぎ、もつ鍋を囲みながら、あーでもない、こーでもないと喋りまくっている時、原君が生ビールを呑みながら、ふとつぶやいた。


『ハンバートどうすか?!』


うぉー、その手があったか! 私はプラトーンの様に両手を上げて喜んだ、もちろん心の中で。


私が好きな異種格闘技戦タイプの対バン。


セックスマシーンVSハンバートハンバートなんて、越中詩郎VS高田延彦じゃないかと。


まぁ、このあたりは、みなさん適当にWikipediaで調べてください。


ひとつ言えるのは、このタイプの対バンは演者同志や主催者やスタッフが盛り上がっても、観客のみなさんがあまりにも両極な2組と判断してしまい、とっちらかる事が多い。


しかし、今回はラジオ生放送でNO 観客マッチだから、その心配はなくなる。


すぐに社長にメール連絡をすると、喜んでもらい、ちょうど東京に用事があったので、番組プロデューサーと事務所を伺う事に。


用事場所が事務所すぐ近くというミラクルもあり、無事にマッチメイク成立。


ロックバンドのセックスマシーンとフォークデュオのハンバートハンバート


サウンドジャンルは違っても、スピリッツジャンルは全く一緒のエモーショナルで御座います。


根底に流れる悶々とした苛立ちや哀しみ、悩みやもがきやあがきは全く一緒。


ですので、みなさん12月12日(火)夜10時〜深夜1時ABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』の『ラジオで生対バン2017冬』を是非とも見届けてください。


さぁ、戦いの火蓋は切って落とされましたよ🔥


以上、この番組企画の取り扱い説明書、ガイドラインで御座いました。


てなわけで、ラジオの前でお逢いしましょう📻


おあとがよろしいようで。

aikoさん2017冬。

suzukiatsushi2017-12-08

ABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』12月5日(火)第193夜。


本業の雑誌でも全く絡みが無かったaikoさんが実は『よなよな火曜』ヘビーリスナーで自ら出たいと言ってくれたという・・クリビツ仰天なサプライズオチがあった回で御座いました。


渋谷陽一氏にしても、伊藤政則氏にしても、いとうせいこう氏にしても雑誌畑の人たちで、テレビやラジオのメディアに出ていたわけです。


そういう文化で当たり前に育ってきた世代としては、自分も雑誌畑でありながら、


ラジオでも自分の好きな演者について発信できるのは嬉しいし、


遂にそこを全く絡み無く無縁だと思い込んでいたスーパーポップスターが気付いてくれたのは感慨深かったです。


元気が無いと言われる雑誌畑ですが、他メディアにも呼ばれるというジャンル枠が下の雑誌畑世代にも普通に残れば良いなと。


そういや、5年前に亡くなられましたが、MBSラジオ朝の顔で、地元芦屋の大先輩である川村龍一氏も雑誌畑の方でした。


あっ、あまりaikoさんは雑誌ロングインタビューをされない方なので、これが縁で雑誌ロングインタビューが担当できたら嬉しいですし、活字インタビュー畑が活気づけば最高で御座います。


てなわけで、来週12月12日(火)【じゅうにーてんいちにー】『ラジオで生対バン2017冬』セックスマシーンVSハンバートハンバート生放送も宜しくお願い申し上げます。


写真はaikoさんライブでの名コール&レスポンスを何と番組口上とマッシュアップしてくれはったポスター。


で、その前に座り込むラジオ生放送深夜1時終わりの疲れきった雑誌おじさんふたり。


おあとがよろしいようで。

Age Factory。

Age Factory。


遅ればせながら、去年11月のアルバム『LOVE』で出逢い、もう関係者はじめバンドマンみなさま近くにいる人全て片っ端から薦めまくり、なるべくライブも行きまくっている。


じゃあ、何が良いかと言うと、僕の中では完璧なカウンターカルチャーヒーロー。


要は現在の流行旬主流と全く違う事をやっている。


ここ10年、フェスやSNSなどわかりやすく盛り上げる=バズらせる文化が根付いた。


確かにMCやつぶやきで煽り炎上させた事で音楽シーンは一瞬の盛り上がりになったかも知れないが、そこにぶっとい音楽が無ければ一生の盛り上がりにはならない。


多くの愛すべきロックバンドたちが、この煩わしいシーンに戸惑い苛立ち、でも沿わせる事も大切と必死にシーンに向かいあってきた。


中には悲しくも、表立ったシーンから消えていったものすらいる。


爆死とでも言おうか。


つまんねえなぁ、退屈だなぁと想っていた時に
現れたのが我らがAge Factory。


現在のシーンの流行旬とか主流とか全く気にせず、自分たちのやりたい音楽をただただぶちかましてる。


舞台上でのふてこい佇まい、ふてこい物言い、明らかに中指突っ立てて闘争をおっぱじめてるし、何もかもひっくり返そうとしてる。


極端なやり方かも知れないが、この極端からど真ん中メインストリームをぶち抜くと信じている。


痛快愉快。


正義の壊し屋。


彼らが道を拓けば、より下の世代はぶち壊しやすいし、上の世代でぶち壊してる素敵な皆さんとも混ざり合って欲しい。


僕が本気で応援してるモノ、すなわち全員で切磋琢磨してほしい。


そして、彼らの歌は尖り散らかしただけでなく、日常生活を通して友達や恋人の事を想う温もり散らかした歌もある。


平均24歳の彼らは怒り哀しみだけでなく、喜び楽しさも歌っている。


39歳の僕からすると、同い年くらいの自分を想いだして懐かしいというより、現在進行形の自分に寄り添ってもらえている感じもする。


それが嬉しいからこそ、15も下の若者なのに己を奮い立たされてしまう。


一昔前の音楽雑誌なら『10年にひとりの〜』なんて煽り散らかした逸材だと想うし、それくらい煽り散らかしてもバチはあたらない。


僕ら世代が盛り上がるのは何となくわかる。


でもAge Factoryは、10代や20代の若き世代が本気で好きになれるモノ=本物である。


最終、その世代が盛り上がらないといけない。


だって、あなたたち若き世代のヒーローなんだから。


とにかく、このクソつまんない世界を怒りでぶち壊して、温もりで包みこんでほしい。


頼むぜAge!

ナンシー関ならこんな毎日をどんな風に書くだろう。

 生きておられたら、明日7月7日でナンシー関さんは55歳。15年前の6月12日、40歳を目前に亡くなられている。


90年代に青春時代を過ごした何かしらのカルチャー好きであれば、小学校中学校的な義務教育、大学で言うところの一般教養みたいなもんで通ってない人はいないであろう。通過儀礼というか、何というか。


名付け親のいとうせいこう氏を始め、周りにおられた方に、その後、取材などで逢う度に、生きておられたら逢えていたのかなとも想うし、未だに亡くなった時の喪失感は覚えている。


好きだった事も亡くなった事も事実で、それ以上でも、それ以下でも無くて、何も言える事はない。そして、逢いたくても逢えなかったというのが大きい。中島らもさんにも近い感情なのかも知れない。


そういや、13年前になんばハッチで開催された中島らもさんのお別れ会で、芥川賞作家のモブノリオさんが『らもさんから教わった事は、逢いたい人には生きている内に逢いなさいという事です』と話されていて、納得せざるおえなかった。ちなみにモブさんは、らもさんに生前逢う事が出来なかった。


これがミュージシャンだと、亡くなっていても、音源はもちろん、映像であったりと、もっと身近に感じる事が出来るし、トリビュートなんて言って他のミュージシャンの体を借りて、魂まで再現する事も出来るのだが、やはり文筆家は違う。


写経じゃないんだから、その人の文章を再現する事も出来ないし、朗読されたとしても全くピンとこないだろう。


生前に残された本を静かに読むしかない。そっと個人を偲びたい。


そんな中、たまに明らかに『お前、ナンシー関みたいと言われたいんだろ?!』みたいな文章を書く人がいる。大体、そういう人は世の中を斜に見ながら辛口評論をしたら、ナンシー関さんになれると勘違いしている。


そんな墓を荒らすかのような行為だけは避けてほしい。


大きく違うのは、まず本当に想っているかという事。こういう風に書いたら、ナンシーさんっぽく思われるだろうという邪気が感じられただけで気持ちが萎える。


後、明らかにナンシーさんは評論家ではなくウォッチャーであったという事。


評論家というのは権威主義者であり、上から目線になる。


だからこそ、最近ネット記事でよく見る放送作家と弁護士の親子の記事がつまらないのだろう。どちらも先生と言われるような立場であり、演者への、現場への敬意が無く、あからさまに評論している自分に酔っている。


ナンシーさんは、あくまで一般市民視点、一般視聴者視点としてブラウン管の動向をウォッチングしていた。


ただ単純に胡散臭いもの、スベっているものに対して、まっとうに反応していただけである。表現への圧倒的な愛があるからこそ、胡散臭さやスベりに対して許せなかったのだろう。


それと凄かったのは、愛はあっても必要以上の情を持たなかった事。人間なんて、どれだけ嫌いな人でも、度を超していなかったら、何となく、その人柄を好きになり、なし崩しのつもりはなくても、結果なし崩しに、その人の事を許してしまう。


だからこそ、ナンシーさんは必要以上に演者や関係者に逢わなかったのであり、逢ってしまった人に対しても情に流されず、引き続き冷静にウォッチングを続けていた。


その流れから、テレビ出演も『自分のイメージをコントロールできないから』という理由で、1993年以降出演していないし、それまでも4回しか出演していない。


そこを貫いたからこそ、一般市民、一般視聴者の視点を忘れる事はなく、権威主義者にも業界関係者にもならなかった。


ネットを観ていると「預言者」と持ち上げる声も多く、意味もわからなくはないが、ただただ彼女は想った事を言っていただけ。特別な事だではなく、普通の事を言っていただけなのだ。


今、読み返すと結構キツめの事も言っている。それが、あまりにも毒々しく怖く感じなかったのは、ユーモラスな画風の消しゴム版画や、あの太った見た目が中和していたようにも想う。


最後に個人的に一番好きなナンシーさんの話を。1993年2月、作家の島田雅彦氏が担当していた毎日新聞内連載『瞠目新聞』で、彼女は『子育ての自己陶酔はイヤらしい』というコラムを書いた。


子育てが絶対的主義と捉える一般市民から批判投書が殺到して、彼女はアブノーマル的に、ヒステリー的に全否定された。


後に島田氏の単行本『瞠目新聞』に、反論として『私の意見は極論か』という原稿を寄せている。このタイトルが本当に好きで、彼女は自分の意見が正論だと何も疑っていない。極論だと想われる事を、全く快く想っていない。


彼女は、全てに対して当たり前の様に正論を言っていただけなのだ。


特に『私の意見は極論か』は、怒りと悲しみに満ち溢れた文章である。弱者から強者への視点、マイノリティーからマジョリティーへの視点。そう考えると、明らかにカウンターカルチャーであるし、異分子を排除する世間の姿勢に真っ向から反論した。


そうそう、ここまできたら全て書いておこう。同じ太った見た目で毒を吐く人でいうとマツコ・デラックスさんがおり、ナンシーさん≠マツコさんと語る人も多い。


女性であるナンシーさんは男性的な理性で語る人であり、女装しているマツコさんは女性的な感情で語る人である。だから、両者は全く違う。似て非なる者である。


長々と理性的に語る人より、端的に感情的に語り、その上、社交的な人の方がメディア的にも、お茶の間的にも断然ウケるだろう。


結局、わかりやすくシンプルストレートなものがマジョリティーになる。そう考えるとナンシーさんは孤高の人であり、圧倒的にマイノリティーであった。


だが、『私の意見は極論か』を読み返す度に、いつも想う。彼女は、揺るぎない正義であったと。


亡くなって、もう15年も経ってしまった。彼女が生きていたら…、想っても仕方ない事を、やはり想ってしまう。


ナンシー関ならこんな毎日をどんな風に書くだろう…。

plenty解散について、シンプルに書いてみた。

plentyのライブは、いつも観客が呆然と立ち尽くしている。

ある意味、地蔵現象なわけで。

興味がなさ過ぎて地蔵の様に固まっているのではなく、興味があり過ぎて地蔵の様に固まる。

つまり馬鹿騒ぎではなく、胸騒ぎ。体踊るではなく、心踊る。

胸騒ぎするから、心踊り、そこから馬鹿騒ぎして体踊るに繋がるのは、まだわかる。

馬鹿騒ぎして体を踊らすだけなら、別に対象は音楽じゃなくて良い気がするし、みんな同じように騒いで、同じように踊るのであれば、それは単なる同調意識なだけ。

学生の頃の随分と昔の話になるが、とあるライブで、あまりにも胸騒ぎして心踊り、拳を突き上げたら、知り合いに『ひとりだけ手をあげていたな!』と嘲笑うかの如く言われた事がある。
和を乱したとでも言いたかったのだろうか。

ひとり目立ちたくて、『誰も手をあげてない中、ひとり手をあげてる通な俺どうよ?!』という気持ち悪い自意識過剰とでも思われたのだろうか。
そんな同調圧力は糞喰らえだ。

まぁ、ここまで考える事が逆に自意識過剰なのだろうが、単純に音が楽しくて自然に胸騒ぎして心踊る事が音楽だと信じている。

そろそろ本題に戻さなきゃ。

plentyのライブで静かに小刻みに体を揺らしていただけの観客が、ぽつぽつと何かが徐々に芽生えるかの如く、終盤に手を上げだす瞬間が好きだ。

ずっと湯を沸かしていたヤカンが急に沸けて音を鳴らす感じというか。

別に決して我慢していたわけではないんだろうが、一気に解き放たれた感じというか。

わかりやすくフェスやSNSでバズらせないと生き残りにくい時代だけど、こんなバンドがいても良いと想う。

plentyのライブは、自由に音を楽しめる。

同調意識や同調圧力なんてものは、そこには存在しない。

だから、何度でも行きたくなる。

なのに9月の日比谷野外音楽堂でのライブを最後に解散してしまう。

現在ラストツアー中であり、僕も今月頭ツアー初日に足を運んだ。

とにかく有無を言わさず、引きずり込んでしまう凄みがある。

突き抜けていく異様な広がりもあるからこそ、もっともっと大きな場所で観たかった。

大阪は7月1日(土)なんばハッチを残すのみ。

ツアーラストとなる名古屋や本当のラストである日比谷野音に行けない方は、是非観に行ってほしい。

正直、その日、大阪はたくさん良いライブがある。

でも、plentyはラスト・・・。この機会を残したら、もうワンマンは観られない。

てなわけで、そんな想いをABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』でも喋ったのでした。
良ければ、そちらもradikoのタイムフリーやLINE LIVEかなんかで聴いてみてください。

おあとがよろしいようで…とは、まだ言えないplenty大阪ラストライブ前日であります。