岡崎体育の日

ここ数年、『バズ』という言葉が市民権を得た。最初は伝説の音楽雑誌『BUZZ』をみんな今頃になって想い出しているのかなと思ったが、そんな訳はなく、何かしらざわつかせる、要は炎上に近い形で使われている言葉だと知る。


とにかく、フェスやSNSでバズらせる事が、バズった事が、重要であり、それは直結で人気に繋がる。まぁ、売り上げにも繋がる。


まもなく40歳という年齢なのか、それとも元々の保守的な性格なのか、そのようなムーブメントとは全く無縁の生活をしていて、ちょっと早く騒ぎが終わってくれないかなとさえ想っていた。


そして、このムーブメントの中心人物は、間違いなく岡崎体育君であろう。


MVのあるあるをおもしろおかしく詰め込んだ『MUSIC VIDEO』は、You Tube動画再生数約2180万回という数字を記録している。


その効果もあり、去年は『ミュージックステーション』にも出演して、メジャー1stアルバムはオリコン9位に輝いた。


とにかく彼は話題作りに長けていて、楽曲自体も『MUSIC VIDEO』しかり物議を醸すような印象に残るような作品を作り、真正面からバズらせにいく。そして、SNSでガンガンに煽っていく。


なりふり構わず手段を選ばす、ビジネスとして割り切って活動する彼だが、おもしろネタ要素の無い真面目な作風の楽曲もある。


充分、そういった作品だけで音楽的に勝負できると想うのだが、彼は割り切っていて、最初におもしろネタ要素の楽曲で興味を持ってもらってから、真面目な作風に興味を持ってもらえたらと言う。


もっと言うと、将来的にはステージに自分自身が立たなくて、プロデュースや楽曲提供に回りたいとも言う。


僕自身、関西のイベンターである清水音泉の男湯こと田口さんから紹介して頂き面識はあったが、インタビューを担当した事が無かったので、色々な情報は他の人が担当したwebインタビューなどで読んでいた。


その時代その時代の見せ方があるのもわかっているが、音楽至上主義、楽曲至上主義な僕としては少し寂しい考え方だなと想っていたのも事実で。


まぁ、でも僕には関係ないやと外野として呑気に暮らしていた5月下旬、太田出版の雑誌『Quick Japan』編集長から久しぶりに電話があった。


内容はずばりこう、『6月24日売りの次号で岡崎体育君表紙大特集をするので、軸となる4本の対談を担当して欲しい』。


ピンインタビューをせず、くるり岸田繁氏、ゴールデンボンバー鬼龍院翔氏、関ジャニ∞丸山隆平氏、そして体育君のお母様という4人との対談で掘り下げるのは良いなとは感じた。


が、その時点で各対談スケジュールは出ておらず、〆切スケジュールとしては6月上旬には取材と入稿を済ませ、6月中旬には校了という中々シビアなものだった。


てか、何よりも問題なのは担当インタビュアーが僕で良いのかって事。


体育君は時の人であり、いくらでも彼にインタビューしたい人はいるし、以前より彼に想いを持っている人もいる。


自分の様な少し距離を置いて対岸から眺めているような人間がメインインタビュアーなぞ務めて良いのか?


それに〆切スケジュールも決して楽では無い。


完全に断る方向も頭に入れて、なぜ僕なのかを編集長に聴くと、ひとつ目としては体育君と同じ関西在住の人間である事を話された。


つまり関西内での京都の立ち位置も或る程度把握しといて欲しいという事だったのだろう。


そして、ふたつ目としては客観性の温度感がある人。他にも、もう幾つか理由はあったのだが、個人的には、この客観性の温度感というのが一番納得いく答えであった。


もし自分が何かしらインタビューで関わるなら素を掘り下げたいと考えていたし、今回のアルバムでいうとラストナンバー『式』に興味があった。


取材初日、開口一番に『「式」が本当に良かった』と伝えると、体育君も『それは嬉しい!』と喜んでくれた。


おもしろネタ要素の無い真面目な楽曲『式』で、おもしろネタ要素の無い真面目なMVが公開されたのは、もう少し先だが、この時点で、その流れも聴かせてもらった。


その時点で、はっきりと自分の役割が見えた。


今作のアルバムも前作同様に『ミュージックステーション』に出演して、常にSNSでも煽り続け、目標ランキングの6位を大きく上回る2位に輝いた。快挙と言っていいだろう。


ただ問題はここから。


個人的にはバズる一瞬の記録なんかどうでもよくて、沁みる一生の記憶を信じている。


今作は前作以上に、沁みる一生の記憶に繋がるアルバムだと捉えている。そのガイドラインとして、是非とも6月24日(土)発売の『Quick Japan』を読んで欲しい。


ビジネス、ブランディングを自ら策略家である事を本人自ら隠さず明かすが、ナイーブでセンシティブな性格を持ち合わせている事やルサンチマン的な怒りや哀しみの執着心がある事が読んで頂いたら伝わるはずだ。


別に内心何を考えているかとか興味なくて、一瞬バズる感じがおもしろければいいという人もいるだろう。体育君に飽きたら、次のバズるおもしろコンテンツにいくだけだろうし。


でも、これも何かの縁。『式』を聴きながら、『Quick Japan』を読んで欲しい。そこにはあなたが知るつもりなかった魅力的な体育君が潜んでいる。


炎上も良いけど、哀愁も良いよ。


何はともあれ、6月24日は『岡崎体育の日』と覚えて、彼が表紙の『Quick Japan』を買いに行って欲しい。


今回に関しては、とにかく僕もなりふり構わず手段を選ばず、単純に売りたいのだ。


特にお母さんが語る小学校時代のエピソードには、思わず泣けてしまう…。


同じひとりっこでお母さんに全て世話をしてもらった身として、何とも言えないシンパシーがあった。


あっ、そうそう6月24日は我がオカン玲子の古希70歳の誕生日でもある。『オカン玲子の日』だ。


明日は我が家でオカン玲子の顔色を窺いながら、書店で岡崎体育の売れ行きも窺ってみよう。


おあとがよろしいようで。


http://www.ohtabooks.com/quickjapan/backnumber/2017/06/14000000.html

『プロ小沢』とは。

ABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』第152夜は、2月21日でした。そりゃ、オープニングナンバーは『流動体について』を流すしかない。


去年のツアー時の大特集でも話したが、あのツアーは魔法的であり、大衆的であった。


表舞台から長年姿を消したと想われていた小沢健二が再度、俗にまみれた世間へ飛び出して暴れ出そうとする始まりの合図を告げたツアー。


そのツアーで一番言葉もメロディーも強かった『流動体について』が本格的な復活作になったのは、誠に納得がいく。


ただ、一番危惧しなければいけないのは、小沢健二ファンだけで馬鹿騒ぎして、彼を囲う事。僕らは彼が90年代、テレビやラジオや雑誌を賑わし、CMにも出演して、紅白にも出た姿を観た。あの現象をカミングバックさせたい。今回、彼がメディア露出を多く果たすのも、そういう意志があるはずだ。


音楽などのカルチャーが好きな若い世代でも、もはや小沢を深く知らない。ならば、音楽を無料でネットで垂れ流されるものとして暮らしている世間の人々からしたら、もっと小沢を知らない。


だからこそ伝える事、広げる事、届ける事が一番重要である。
目指せミリオン、目指せ紅白、目指せ国民的ポップスター。


彼の音楽には深みがあり、我々のような物好きは語りたくなるのに、大衆的にも売れていた事が一番の魅力だった90年代。あの現象を再びなのだ。


それが我々小沢健二好きの裏方の命題である。
伝説にしちゃいけない。



ミュージックステーション』を目前に控えた2月23日の小沢健二のコラム。


自分のファンの数が20年前から、オリコンチャート目安だと、1位ではなく、4位だと言い切る。もちろん1990年代と2010年代のオリコン1位とオリコン4位の売り上げ枚数に違いはあるが、『量』の例としてはわかりやすい。


そして、小沢は4位の人々の『質』を信じていてる。
1990年代の4位の人々の『質』が自分の歌を2010年代にも残るスタンダードにしてくれたと書く。20年かけて、4位が1位になったわけだ。


今も全国にショッカーのように潜伏する4位の皆さんに、『ミュージックステーション』生中継で『歌おう!』と呼び掛けるから、歌って欲しいと願う。その歌い声が歌い継がれ、結果スタンダードな1位となる。


テレビ生中継は全国にも届くからこそ、普段はオリコン1位〜3位の人々にも触れられるチャンス。そんな人々にも小沢の『歌おう!』が届き、少しでも多くの人々に伝わりますように、広がりますように。


特に小沢で青春を過ごした我々世代、そこに中途半端に影響を受けた我々の下世代には、興奮した狂乱だけで小沢を囲い悦に入るカルチャーマニアの人々、ちっぽけなプライドだけで小沢を批判して悦に入るカルチャーマニアの人々がいます。


そんなカルチャー村だけの儀式は辞めて、小沢健二を全国の心のベストテン第1位に輝かせましょう。私も方向性を間違わないように、姿勢を正して、小沢健二を応援します。


2017年の小沢健二と過ごすLIFEは、始まったばかり。



2月28日のABCラジオ『よなよな・・・なにわ筋カルチャーBOYZ』第153夜は、番組史上最多5度目となる小沢健二氏大特集。


2014年春の番組初夜と第2夜という始まりを飾ってもらうも、もちろん誰も聴いてなくて話題にもならなかった。


3度目は、2015年春。番組1周年記念で何気にやろかと想いきや、発表した翌日にライター大塚幸代さんの訃報が入ってきて、どうしても、そこに気持ち傾ける事になった特集に。


フリッパーズギター時代から誰よりも愛していたのに関わらず、ニューヨークアポ無し直撃取材を敢行せざるおえなくなり、小沢氏に睨みつけられたりしている内に真っ直ぐなインタビューをする事が出来ず、遂には亡くなった、その無念の想いの話を。


4度目は、2016年6月。言わずもがな、新曲中心のツアー『魔法的』。確実に再度シーンへ本格的に乗り込む勢いを感じ、『大衆的』なスターであることを改めて認識した、そんな話。


そして今回は、19年ぶりのシングル『流動体について』リリースのタイミング。ここに関しては、ただただ昔ながらのファンは90年代の亡霊として変な祭騒ぎをして小沢氏を囲わず、世代問わず多くの人に伝えて届けて広げて、万人のポップスターに昇りつめさせようと、そんな話をしたわけで。


自分は学生時代からサブカルチャーという極端だけどど真ん中を射抜こうとする表現者が大好きで、すなわち、それはカウンターカルチャーと呼ばれるもの。


なので売れたからと言って魂を売ったとファンが離れる話は好きじゃなかったし(まぁ、たまにほんまに魂を売り損なう輩もいるが)、何よりもファンが多くの人に知られたくないと囲うのが何よりも苦手だった。


後は人に多く知られてないカルチャーを知ってる自分が特別だ、偉いという間違えた優越感からくるファンのおごりも大嫌いだった。物語は好きだが、評論やジャーナリズムに酔いすぎて、


小難しいインテリでお高くとまるファンも勘弁して欲しかった。凄いけど凄く見せすぎない、そして、その凄さをポップに、大衆的に魅せるスター、ヒーロー、ヒロインが大好きだ。


自分も、そこに寄り添うファンでありたいし、ファンを通り越して好きなカルチャーの側にいたくなったから、そのカルチャーを伝えて届けて広げる仕事、つまり自然に裏方に就いた。


カルチャーは、あくまで娯楽だ、高尚じゃない特別じゃない、何も偉くない。


そんな自分の思い想いのルーツに真っ向から向かい合わせてくれたのが、小沢健二氏の特集。勝手に『プロ小沢』なんて造語も作りましたが、小沢氏をプロフェッショナルな想いを持って応援するなんていうメッセージを烏滸がましくも込めていたわけで。


まぁ、いつまでも熱情をはねっ返らせながら、強い気持ち強い愛を持てますように。


音楽の灯を少しでも長く灯しながら、常に感動のLIFEを進んでいきたいものだ。


自称『プロ小沢』の戯言、以上。おあとがよろしいようで。

冒険は続くよ、どこまでも

『冒険は続くよ、どこまでも』


どうも、こんばんは、ライターの鈴木淳史です。何を、こんなに改まって挨拶したかというと今から読んで頂くライブレポートは7ヶ月も前のものだからです。まぁ、要は、そんな昔のものを今更アップするわけだから、ちょっと気が引けているというか…。でも、アップしないといけない理由があるのです。


1月27日(金)に梅田Shangri-Laで開催される『魔法少女になり隊 ワンマンツアー2017〜メロディア王国にさよならバイバイ ワタシはみんなと旅に出る〜』に足を運んで欲しいのです。


7ヶ月にも書いていますが、このバンドはフェスやイベントでも充分に爪痕を残せるバンドなのですが、何よりもワンマンを観て頂きたい。


若くて勢いだけでバズらせるバンドではなく、しっかりとコンセプトが物語が美意識がユーモアが構築されているので、長い尺で彼女ら彼らしか出ないワンマンという世界観の中で堪能して頂きたいのです。


去年の初夏、僕は二カ所でワンマンを観ました。その『2016Summer』の記録です、下記は。これで予習復習して参考にして、1月27日(金)に梅田Shangri-Laへお越しください。


いきなりワンマンなんてハードルが高いのはわかっております。だからこそ、このガイドラインを読んで頂けたら安心できるはずです。


金曜夜、梅田Shangri-Laでお逢いしましょう。


6月24日心斎橋BRONZEで開幕した『魔法少女になり隊 ワンマンツアー 2016〜わたし、魔法少女になりたい!〜』。これまで、自分が住む関西のイベントで何度か観る機会はあり、興味は持っていた。ただ、自分の中でまだ魔法少女になり隊の魅力を整理しきれていなかったのも事実。だが、この日はワンマンという事もあり、武器のひとつである映像が後方の大きなビジョンに堂々と映し出されていたのも大きかった。


gari(VJ)が制作するRPG風の映像で、火寺バジル(Vo)が魔女に呪いをかけられて喋られなくなった事が説明される。そして、彼女はその呪いを解くために必要な“ハピネス”を集めるため、“歌”という魔法を使いながら、仲間のgari、ウイ・ビトン(G, Cho)、明治(G)と共に冒険をしている事も説明される。バジルはバッテン印のマスク姿であり、歌う時には外す。RPGやアニメの要素が入っている集団だが、そのようなルーツが全く無い僕の様な人間でも理解できる。いや、理解できるように丁寧に導いてくれるというのが正しいだろう。


サウンドはゴリゴリのシャウトやデスヴォイスが入り、ラウド色やメタル色も強く、こちらも個人的にはルーツとして通っていない。しかし、その押し寄せてくるサウンドに思わず呑みこまれた。破壊力が半端ではなく、凄い…。初のワンマンツアー、それも初日なので心身共に仕上がっている。そして何よりも、キャラが際立っている。とにかく、バジルはポップでキュート。強烈なシャウトやデスヴォイスをぶちかますgariもMCになると、甲高い声で優しく温かく観客に接して、どこか可愛げすら感じる。しっかりしたキャラコンセプトが全体的にあるものの嫌味は無く、サウンドもMCも観客を必要以上に突き放す事はない。


要はバズらせるだけで先が見えない…、今の一瞬だけが暴れて騒げて笑えて楽しいという単純明快な集団ではない。『魔法少女になり隊』という集団が続く限り、ずっと魅力を届けて、より拓けていく可能性を感じさせてくれる。馬鹿騒ぎだけではない胸騒ぎ…、これが心斎橋初日に全13曲を体感しての感想だ。38歳という四十路も目前な中、自分と同じルーツが無いタイプの若手バンドには恥ずかしながら、どうしても共感できなかった。でも、この日の彼女彼らには、何だか自分でも、よくわからない涙を流してしまった。自分のルーツには全く無いにも関わらず、飛び抜けた新しい表現を持つ若き才能に出逢えて、尋常じゃなく心を奪われたからだろう。


どうしても冒険の続きが観たくて、初ワンマンツアーファイナルの7月1日原宿Astro Hallへ関西から向かった。初日は観賞のみだったが、このファイナルはライブレポートも担当させてもらう事に。観客が全て入場し終えた午後7時半フロアに入ると、心斎橋BRONZEより約3倍のキャパがある原宿Astro Hallは足の踏み場もないくらいに満杯になっていた。事前に重大発表ありと告知されていた事もあり、異様な熱気に包まれている。1曲目『BA・BA・BA ばけ〜しょん』からgariが「東京!」と煽るが、何でもない煽りなのに凄く気になってしまう。外タレが来日ライブで煽る感覚に似てるというか…。先述したが、やはり可愛げがあるのだ。ちょっとした事でも興味を惹きつける能力もあるのだ。この日、何気に出た「トウ!」と言葉も、そうであった。彼が「トウ!」と言っただけで、観客全員が反応する。何の意味も無い言葉だが、何も狙い過ぎておらず、心から出た言葉だからこそ響くのだ。盛り上げるために話題性を狙い過ぎた、その場しのぎの表現は必ず飽きられる。1週間で東名阪3本のコンパクトツアーなので、6月26日の名古屋APOLLO BASEを観ていないだけだが、日々吸収して成長している事が伝わった。改めて、LIVEは生き物だと気付かされる。


序盤からダイバーも続出して、6曲目『MEGA DASH』ではバジルがマスクと同じ白地に赤いバッテンの旗を振りまくる。観客の興奮度も絶頂に達しかけているのがわかった。フロアにはサークルモッシュも起きるが、魔法少女になり隊のLIVEでは殺伐さを一切感じない。それは観客を扇動する彼女彼らの上手さであり、そこにも丁寧な優しさや温かさを感じる。この日、特に印象的だったのはMCでウイ・ビトンが「後ろの人も見えるようにしてあげて欲しい!」と客席前方の人に問い掛けたり、明治が「怪我だけはしないように!」と呼び掛けた事。フロントマンふたりだけでなく、バックのふたりも役割を担い、支え合っている美しさには何とも言えないものがあった。キャパの違いがあるとはいえ、初日大阪には無かったMCである。単純に感心してしまった。


9曲目『ヒメサマスピリッツ』は和楽器をサンプリングしたサウンドであり、バジルは、これまた赤いバッテンがデザインされた白い扇子を振りまくる。確実にラストへと向かう中、gariが「最高の景色を続けようぜ!」と言い放つ。「最高の景色を観たい!」と若いバンドマンが言う度に、あくまで個人的にだが、いつも違和感しか残らなかった。観る側からしたら、それは関係ない事であり、どちらかと言うと、こちら側が「最高の景色を観たい!」。演者は観客に最高の景色を見せる義務があり、観客は最高の景色を観る権利がある。その成立した関係性を理解している事が、gari の言葉からは伝わってきた。演者と観客が素晴らしい関係を一緒に続けていく事さえできれば、魔法少女になり隊の冒険が終わる事はない。


カバー2曲を含む11曲を終えたところで、ビジョンに 「重大発表 2016年9月21日メジャーデビュー決定」の文字が激しい効果音と共に映し出された。会場は、「おめでとー!!」という祝福の大歓声に包まれる。その反応を受けて、gariは、「ツアーファイナルという笑顔あふれる場所で、メジャーデビューを発表できて本当に嬉しいです! 遂にですよね!? これからも火寺バジルの呪いをとくために冒険を続けます。メジャーという新たなステージでも、みんなついてきてね〜!!」と喜びを爆発させる。その後、gariが「早く呪いをといて、MCをしようね!」とバジルに喋りかけ、バッテン印のマスク姿でバジルは嬉しそうに頷く。このシーンが、この日、一番感動してしまった。今回のメジャーデビュー発表を皮切りに、より大きなステージを今後経験していくだろう。が、観客へはもちろん、そして上記のシーンの様にメンバーにも心遣い思い遣りを忘れない姿勢があれば、何も心配する事は無いと言い切れる。


メジャーデビュー曲『KI-RA-RI』を披露した後、「魔法少女になりたい」という歌詞が深く心に残る『冒険の書1』を全力で演奏。こうして、初ワンマンツアーは幕を閉じた。アンコール無し全13曲本編というスタイルも誠に潔い。メジャーデビュー発表もあり、初日と比べて明らかに時間は長いはずなのに、実際は短く感じた。それだけ構成をタイトに見せれたという事からも、改めて今回のツアーでの成長を感じる。また本人たちもやりきった自信があるだろう。サポートベースのわくわくさんも含め、メンバー全員が舞台上でも楽屋裏でも本当に良い笑顔をしていた。


魔法少女になり隊の未来に対して、「ひょっとしたら、ひょっとするかも…」と勝手な期待をせざるおえない…。海外であろうと、どこであろうと、是が非でも僕らを観た事もない世界へ連れて行って欲しい。初ワンマンツアーという冒険の始まりに立ち会えた事を誇りに想う。


鈴木淳史(ライター/ABCラジオ『よなよな…なにわ筋カルチャーBOYZ』パーソナリティー)

Rest in Peace。

演者以外が使う『RIP』という言葉は大体薄っぺらいというのが持論であり、SNSで乱用される『RIP』が苦手なんて事をこないだラジオで喋った。


その時に『RIP友達』という話もした。


元々はラテン語で、英語では『Rest In Peace』・・・『安らかに眠れ』という意味がある言葉で、訃報の時に用いられる。


要は有名人の訃報時に、たいして故人を好きでもなかったのに野次馬的に盛り上がる奴が苦手と言う事。


フェスや人気ドラマで喜び、あらゆる社会問題に怒り、たいして好きでもない人の訃報に哀しみ、Instagramで食べ物写真をあげる事に楽しむ。


まぁ、全体的に上っ面の興味本位には飽き飽きするが、他人事なんで勝手にどうぞではある。ただ、訃報を野次馬的に取り上げられるのだけが、どうしても苦手だった。


で、『RIP友達』というのは普段あまり連絡ないのに有名人が亡くなった時だけ連絡してくる友達の事。


ほんでもって満足したら、また連絡が無くなるのが『RIP友達』。


最近、黒沢健一氏の訃報もあり、RIP野次馬やRIP友達を嫌な意味で想い出さざるおえなかったが、まぁ、それはそれで良いんじゃないのと流せるようになった。


普段、その人にとって無名人だった人が亡くなった事で、初めて有名人と認識をして、思わずRIP野次馬の対象になり、あまり交流のない友人にまで連絡して情報収集を行ないSNSで反応しまくる。


無念ではあるが亡くなった事で、普段興味を持って無かった人たちが思わず騒ぐ。思わず騒がれるくらいの人生を結果過ごした訳だから、逆に凄い事じゃないかと想えるようになった。


RIP野次馬がRIP友達に連絡しない訃報の方が寂しい。訃報で振り向かせるのは決して素敵な事ではないが、話題にならない訃報より素敵じゃないか。


もちろん、そういう人たちは、すぐにフェスや人気ドラマの喜びや社会問題への怒りや新たな訃報の悲しみやInstagramで食べ物写真あげる事への楽しみに、一瞬で興味は移ってしまう。


その時その時の流行旬である喜怒哀楽が好きなわけであり、そこにしか興味がない。なので仕方ない。


いちいち、こちらが感情を乱されても意味ない。訃報という素敵ではない機会で興味を持たれたとはいえ、今後より興味を持ってもらうための最大のチャンスにしたら良いだけ。


せっかく雑誌やラジオの仕事をしているわけだし、別にSNSでも構わないので、こちらが命日を忘れずに情報を発信していけば、その度にRIP野次馬でありRIP友達を振り向かせるチャンスもあるわけだ。


ようやくポジティブシンキングができるようになった。


その人は亡くなっても、作品は残る。


生きている作品を伝えていけばよいだけ。


クリスマスの季節になれば、7年前の2009年12月24日に亡くなったフジファブリック志村正彦氏を必ずしも想い出す。


当たり前の様に、普通に、またインタビューをしたかったし、ライブを観たかったし、新作を聴きたかった。


でも、たくさんの作品は残っている。


この文章を読んで想い出した方がいれば、是非とも第一期フジファブリックを聴き直してみてください、本当に素晴らしい音楽なんで。


それにしても「RADIO CRAZY」で観た現フジファブリックの演奏は魂こもっていて…鬼気迫っていて…本当にエモーショナルで思わず泣けてしまった。


確実に志村氏の歌は残っているし、まだまだ続いている。


だから、安心して志村氏には『Rest in Peace』して欲しい。


てなわけで前置き長くなりましたが、明日で2016年は終わる。

フラワーカンパニーズの1年〜日本武道館←→和歌山GATE。

12月7日、フラワーカンパニーズのスタッフから以下のメールが届いた。


『12/18(日)はお忙しいでしょうか? 47都道府県ワンマンツアーのファイナルが和歌山GATEであるのですが、ファイナル的(?)な企画を考えており、もしご都合あうようだったら、見届け人(笑)をしていただけないかなと思っています』


さっぱり意味が分からないメールなので、すぐに問い合わせると要は去年12月19日のフラカン日本武道館から、ちょうど1年経った12月18日和歌山GATEで武道館と同じセットリストでライブを行なうという事だった。今回のワンマンツアー『夢のおかわり2016』自体が武道館に来場した全国各地の人々、普段から応援してくれる全国各地の人々にお礼を伝えにいくというシンプルなもの。ライブハウスを主戦場とする彼ららしい趣旨である。集大成となるツアーファイナルにふさわしい内容だが、事前にメディア媒体へのニュース出しはおろかHP告知すらしない。僕への依頼である見届け人も、簡単に言うとライブレポートなのだが、そちらもメディア媒体へニュース出しをするわけでもなく、HP掲載すらない。「鈴木君のブログにでもあげてください!」…、それで本当に良いのと未だに想っているが、あくまでツアーの最終日にしか過ぎず、特別感を出さないというのも彼ららしい。ただ、流石にライブが始まる時には、その旨を発表するはずだと思っていた。で、『結果は、こうでしたよ!』と胸を張って書きたいところだが、そういうわけにもいかない。


当日開演は17時半だった為、17時JR和歌山駅着を目安にして、時間に余裕があれば市バスで向かおうくらいに考えていた。JR大阪駅15時発の紀州路快速で16時53分に直通で到着のはずだったが、気が付くと僕はJR関空駅にいた。JR日根野駅関空駅と和歌山駅に車両が切り離される事を知らなかったのだ。慌てて、日根野駅に戻り、再度紀州路快速に乗り、JR和歌山駅に向かい、タクシーを走らせる。時は既に遅し…、和歌山GATE到着は17時50分…。見事に遅刻で、4曲目『永遠の田舎者』の終盤であった。完璧にやっちまったである…。つまり、肝心のオープニングでの趣旨説明を聴き逃していたら、何の意味もないと落ち込んでいたのだが、最初から観ていた関係者に確認すると、何も説明されなかったという。僕が間に合った4曲目からラスト27曲目『サヨナラBABY』までも、一切説明されていない。ライブが終わった瞬間に僕が趣旨説明と共に感想をTwitterで呟き、フラカンアカウントによるRTがあり、それがいわゆる公式発表になった。鈴木圭介とグレートマエカワが後日ブログで内容に触れるまでは、公式発表は何もない。『彼ららしい』という言葉を既に何回使っているかわからないが、そうとしか言いようがない。粋過ぎるであろう。


個人的に武道館を強く想い出したのは、11曲目『夢の列車』。インディーズ時代からの楽曲であり、グレートのボーカルパートや圭介のハープが響き渡る渋いナンバーなのだが、何と言っても竹安堅一のロングタイムなギターソロが圧巻。武道館で痺れた象徴的な構成がまんま再現された事で、改めて武道館セットリストなんだと気が引き締まった。16曲目『チェスト』を前に、何故ツアーファイナルの場所が和歌山GATEになったかが、グレートから説明される。隠された真意が遂に明かされた。


『去年1年武道館の為にやって、Twitterエゴサーチをよくしていたら、和歌山GATEの人が一番「フラカンの武道館に行こう!」みたいな応援のつぶやきが多かった。もちろんタイム設定みたいなものもあるんだろうけど、それでも、そこまでしてでもつぶやいてくれたのが嬉しかったから、実家でもないし、親戚もいないけど、ここ和歌山GATEをツアーファイナルにしようと想った。まぁ、全国のライブハウスは、どこも実家みたいなもんだしな』


そりゃ、全国のライブハウスから愛されるよ。そりゃ、全国のイベンターから愛されるよ。何しろ、全国のファンから愛されるよって想った。なんて単純明快で素敵な理由なんだろうって。年間約100本のライブを全国各地で行なう彼ら。この日の和歌山GATEも約250人くらいの観客で売り切れであった。47都道府県×各地200人=武道館9000人売り切れなんていう計算も思わずしてしまったくらい…、フラカンの武道館は全国各地の人に支えられていたのだ。メンバーチェンジ無し活動休止無し、でもヒット曲無しという結成27年のバンド。日常の頑張りが奇跡を起こした凄い時間だったんだなと、ちょうど1年前の武道館を想い出さざるおえなかった。


本編全19曲が終わり、アンコール1ブロック目へ。当たり前だが、武道館セットリストと全く同じ。21曲目『ロックンロール』前の圭介のMCが印象的だった。序盤のMCでは『やっとツアーが終わる! せいせいした! 一個のツアーで47都道府県をワンマンで回るのは、武道館よりキツい! 二度としない! それもファイナルが縁もゆかりもなくて、親戚もいない和歌山なんて!!』と照れ隠しもあり毒づいていて爆笑したが、ここでは本音を話してくれた。


『やり直せる。何回でもやり直せる。武道館は声がガラガラだった。だから、武道館のDVDは1回しか観ていない。でも、このツアーが終わったら、ようやく楽しんで観れそうな気がする』


晴れの舞台である武道館で自分が想うような声が出なかった事は、悔しくて堪らなかっただろう。そりゃ、武道館ライブは素晴らしかったし、声が出にくいというのも年中ライブをやっているバンドらしい生々しさで感動したが、そんな事は本人にとっては関係ない事。武道館での大きな忘れ物を1年かけて取り戻しに行く…、この47都道府県のツアーがいかにフラカンにとって重要だったかを思い知る一言だった。ロックンロールはずっと続いていく。


アンコール2ブロック目ではグレートがクリスマスツリーをかたどったオーバーオールで登場したり、24曲目『NUDE CORE ROCK'N’ROLL』では武道館唯一の特別な演出と言っても過言ではない特効のテープがフロアに飛ばされたりと、忠実に武道館が再現される事にニヤニヤしてしまうが、一刻と終わりは迫ってきている。アンコール3ブロック目のラストナンバー27曲目『サヨナラBABY』を前に、圭介が最後の語りかけを。


『この1年ありがとうございました。恐らく、この中で一番幸せなのは俺だよ。不幸キャラとか負け犬キャラとか言われるけど、俺は1回も不幸になんかなった事ないし、1回も負けた事ないから! 人生が楽しくて仕方ないよ。悲しい時も来るかもしれないけど、バンド辞めようなんて1回も思わないから!』


14曲目『深夜高速』が歌い終わった時も、こんな事を言っていた。


『ずいぶん前に作った曲なんだけど、俺たち、しつこいなぁ〜。全く辞める気ないもん。バンド以外する気ないもん』


『生きててよかった そんな夜を探してる 生きててよかった そんな夜はどこだ』なんて歌うもんだから、まだ幸せじゃないのかなとか、まだ勝っていないのかななんて勝手に思われるんだろう。でも、ただ単にもっと幸せになるために、もっと勝つために、フラカンは生きているだけなんだろう。これは学生時代から約20年を彼らを聴き続ける僕にとっても、新しい発見であった。誇らしく想えたし、頼もしく想えた。消えぞこないには、消えないだけの理由がある。限りなくネガティブに近いポジティブなんだけど、当の本人たちは楽しんでいるのだ。苦労なんて言葉は似あわない、だって好きな事を一生やり続けているのだから。


何度も書くが、去年12月19日の武道館と全く同じセットリストが今年12月18日の和歌山GATEで再現されたのである。なぜフラカンの武道館に感動したかと言うと、必要以上に特別な演出などをせず、いつものライブハウスまんまのシンプルなライブだったからだ。この日、いつものライブハウスである和歌山GATEで武道館セットリストが再現された事で、武道館がいつも通りのライブであった確実な答え合わせがされたように想う。武道館も和歌山GATEも地続きであったのだ。そして、どちらの3時間も一瞬たりとも長いとは思わなかった。こうして、47全都道府県を回る『夢のおかわりツアー2016』は、無事に終了した。


打ち上げにも参加させて貰ったのだが、盛大なビンゴ大会も行なわれた。普段、喉の事を考えて、ほとんど打ち上げに参加しない圭介が『毎回、こんな事をしているの?!』なんて興奮していたが、そんな事がある訳ない…。でも、武道館の打ち上げでもしなかったフラカン史上初のビンゴ大会を思わずするくらい達成感が強いツアーファイナルだったのだろう。提供品も由利徹のレコードや特撮の企画本や熟女エロ本や地方のお土産用手ぬぐいなど異様に庶民的で、その感じも誠にフラカンらしかった(失礼)。ちなみに僕が提供した村西とおる監督最新自伝『全裸監督』は、見事に圭介に当たり、大喜びしていたのは完全なる余談。


てなわけで、僕が電車乗継を大失敗して遅刻した以外は本当に素晴らしい夜であった。おあとがよろしいようで。

犬と猫と僕と。

4月12日火曜日夜10時〜深夜1時ABCラジオ『よなよな〜なにわ筋カルチャーBOYZ〜』は‥『番組2周年特別企画シリーズ』と題して、『中村一義180分一本勝負SP』をお送りします。
つまりレギュラー企画など全て取っ払い、中村一義氏楽曲と中村一義氏話‥そして先日収録を行なった中村一義氏ロングインタビューを軸に180分中村一義氏オンリーでお送りするのです。


僕は有難い事に、この16年の仕事生活で逢いたい人には全員逢えてきました。本当に幸せな事です。雑誌インタビューを始め、インタビューは無理でもライブ後の挨拶、イベントやフェスでのすれ違いなども含めると‥音楽とお笑いでいうと逢えていない人は本当にいないと想います。


ブルーハーツハイロウズクロマニヨンズのおふたり、ダウンタウンのおふたりという流石に無理だろうと諦めていた人たちにも逢えてきました。
ところが唯一、インタビューでも楽屋裏の挨拶や擦れ違いでも全く逢えていなかった人がいます‥その人が中村一義氏です。彼とだけは、ずっと関係性が演者とファンのままでした。想えば、彼との(一方的な)出逢いは衝撃的でした。


1997年1月でしょうか、おかんの車に乗っている時、僕はラジオから『ど〜う?』と呼び掛けられました、問い掛けられました。あの時の衝撃は、未だに忘れられません。覚えやすいメロディーで、覚えやすい言葉で歌われた、その曲は『犬と猫』という曲でした。


インディーズなどでの音源発表一切なく、ライブも行なった事なく、今後もライブを行なう予定は全くないという‥異例中の異例の中で彼はメジャーデビューを果たしました。音楽雑誌やカルチャー雑誌は一躍表紙にして、僕らキッズはネットもない時代ですから、必死に彼の情報を雑誌中心に集めたものです。
当時22歳になる直前の中村一義氏は『どう?』と世間に‥全ての人に問い掛け呼び掛け、『僕として僕は行く』は歌いきる姿には、当時19歳で今後どうやって生きていくかわからない関西のアホなカルチャーすがっている男子は、たまらなく背中を押されたものです。


彼の音楽は生き様でした‥ドキュメンタリーでした‥複雑な家庭で育ち、自分を見つけるために始めたひとりによる自宅録音で鳴らしだした音楽がメジャーデビューを果たし、まずは2年後に弾き語りでライブを行ない、その後には同世代のバンドマンとバンドを結成する‥僕は一切した事ないですが、RPGゲームでパーティーを増やしていく事って、こういう事なんだと勝手に解釈したくらいです。


あっ、ドラマ『北の国から』も良い例えかもですね。1997年初冬から始まった『実録 中村一義』は、2016年春また大海賊というバンド仲間を従えて動き出しています。そのタイミングで、僕は遂に雑誌、そして彼と出逢った最初のきっかけであるラジオでお逢いする事が出来ました。
19年間の想いを真っ直ぐにぶつけました‥面倒だったろうに、真っ直ぐと中村一義氏は受け止めてくれました。個人的には初めて聴く話もあり、ただただ興奮して感動しました、そして泣きました。


あまりにも、そのラジオインタビューが素晴らしく、少しでも多くの人にわかりやすく丁寧に伝えたい届けたい広げたいと想い、180分SPに至りました。まだまだ中村一義氏を知らない人もいると想います、だからこそ企画しました。


どうでもいい話だと想いますが、この企画で、僕の90年代カルチャーは完成すると想います。そして、また次へ歩めるように想えます。だからこそ、180分SPやらして頂きます。というか、実現へ向かうには多くの協力が必要でして、大変感謝しています。


いやいや、まだ終わってないし、ちゃんとしないといけないし、てか、とにかく明日は聴いて頂けたら嬉しいです。中村一義氏的に言うならば、『カジュアルな思想』‥が、そこにあると想います。


是非是非お聴きください。それしか言葉はありません。


鈴木淳史

『雑誌広告ウワサの真相2016春』

『雑誌広告』について想う事を書いています。
最初に書いたのは4年前で、事あるごとに1年に1回くらいは、その時その時で修正加筆したものを再び出しています。

観て観ぬふりできる事柄ですし、別に暴露でも何でもないです。
ただ、普通に想う事、感じる事を書いていますので、良ければ読んでみてください。
 
 

昔、ネットで音楽雑誌の広告料金と記事のカラクリ疑惑について、演者さんが色々と書いていた事がありました。そして、雑誌関係者が慌てて中途半端な偽善的言葉を、正義ぶって主張していました。「話せばわかる!」みたいなノリで…。論点をズラして疑惑から逃げているだけで、誠に情けない印象しか受けなかったのを憶えています。何度か書いていますが、改めて雑誌に携わる者として何かしら残しておきたいと想います、誰にでも理解できる言葉で。


まず、今から思えば、僕が雑誌人生の中で幸運だったなと想うのは大学卒業後にカルチャー専門誌でなく、大手大衆情報誌、それも、関西版の仕事に就いたという事。働き始めた週刊ザテレビジョン関西版や兄弟紙である関西ウォーカーは大手出版社から発行される大衆情報誌なので、ある程度多くの方が読まれるわけです。つまり、情報がコアじゃないので、多くの方…要は一般国民の方へ伝わりやすい。そこと比べると、カルチャー専門誌は、掲載情報ジャンルを絞っているので、読者層を選んでしまう事になる。さて、何が言いたいのとなるので、次々と書いていきます。


物事を何か立ち上げたり、続けていく場合、資本が必要になります。販売価格収入だけでなく、スポンサーが必要となる場合もあります。例えば、民放テレビ局がCM宣伝を入れるのは、そういう事ですよね。スポンサー=応援団。雑誌も、「この雑誌を応援したい!」という気持ちであったり、「この雑誌は伝わる力があるから、なので宣伝の場として使いたい!」などといった気持ちにより、テレビで言うところのCM宣伝…、すなわち「雑誌広告を出稿しよう!!」と想う会社が出てきます。CMや広告は、定められた料金を納めれば、それで実現されます。ただ、これはあくまで自由な事。


いわゆるCMや広告以上、テレビなら15秒でなく普通の長い放送時間、雑誌なら1ページや見開き2ページでなく、普通の長い特集記事のページが欲しいとなると…、また意味が違ってきます。それは単なるCMや広告でなく、宣伝番組や宣伝記事へと変貌する。あからさまに、そう判断できるモノであれば、何の問題もない。ところが、雑誌でいうと普通の記事に見せかけているものの、実は、お金で買い取られて作成された記事だった場合、話が全く変わってきます。


要は雑誌の純粋な想いとして、演者を応援したいから、掘り下げるページを作成するわけです。それを喜んだ演者側が、感謝して好意として広告を出すのは自然で何も悪くない。もし雑誌側が、「ロングページで取り上げて欲しかったり、表紙にして欲しいのなら、お幾ら万円用意してください!!」なんていう話を前提で演者側に交渉をしたら…。それも…「純粋に応援しているページです!」という様に偽装ページとして読者に提示したら…。もし演者側が、「ロングページで取り上げて欲しいし、表紙にして欲しいので、お幾ら万円を用意します!!」なんていう話を前提で雑誌側に交渉をしたら…。


大衆情報と違い、カルチャー情報の場合は、その作品性の評価を小難しくインテリぶったりして、ジャーナリズムのように世の中へ提示するわけです。雑誌によっては、はっきりと自らを評論家と言ったりもする。よしんば、そのような雑誌がお金によってページを動かしているとなると…、とんでもない事ですよ…。広告記事や宣伝記事は何も悪くないですが、自分たちの純粋な感情で推しているように見せかけといて、実は全部お金で決まってる…、それが大問題なのです。


先ほども書きましたが僕が幸運だったのは、ある程度裕福な大手出版社の大衆情報誌におけるカルチャーページを…、それも東京という喧騒から離れた地方都市の関西で担当した事。だから広告料金を取らず、純粋に自分が良いと想える演者さんの記事を作り続けられた。なので、「宣伝費がないのですが、インタビューをお願いできますか?」などと演者さん側に言われたり、宣伝費不要での掲載を驚かれたりすると…、こっちが驚いたものです。関西の媒体で基本活動する僕は、広告費を必要としない媒体で執筆できている。今まで関わってきた東京のカルチャー専門誌も、広告料金が絡んだ取材でも、取り上げたいものを取り上げる精神に基づいた健全な現場ばかりでした。


某音楽雑誌では、見開き2ページを細かくコマ割りにして、「1コマお幾ら万円」と提示した上で広告掲載を募っている。あの手法は本当にわかりやすいし、悪意を全く感じない。カルチャー専門誌は大衆情報誌と違い、読者を選ぶから部数も違ってくるし、より資金が必要なのもわかる。ただ、お金で魂を…精神を…売ってはいけない。


アメトーーク!」で昔、放送された「芸人ルール」で「誰かのバーターで出演しているタレントは、画面に『この人は、●●のバーターで出演しています』とテロップを出そう!」なんていう最高なルール提案がありました。その手法に乗っ取り、雑誌も心から純粋に推している演者ではなく、広告料金で作成されたインタビューページは、一筆したら添えたら良いと想う。「この●●さんインタビュー記事は、『1ページ=お幾ら万円』の本誌広告料金ルールにより、※※ページ=☆☆万円で●●さん側と合致して作成されたものです」と。


最後にひとつ書きたいのですが、この悪しき伝統を当たり前のように受け止めて、当たり前に交渉してきた一部の演者側の会社も悪いと想うのです。クオリティー云々を置いといて、わかりやすく売れそうな作品しか宣伝しない。そうすると受け取る雑誌などの媒体側も、その悪しき伝統に慣れてしまい、クオリティーの高い演者や作品にアンテナを張らなくなる。


雑誌など色々な媒体が「●●さんを取り上げたいんですけど」と演者側の会社にお願いすると、「●●より★★をお願いしたいんですけど」なんて平気に返されてしまったという話を本当によく耳にします。表現にプライオリティー(順番)を、演者側の会社が勝手に付けてしまう気持ち悪さ…。「★★だけでなく、●●もテメエの会社所属やで!!」と声を大にして言い返したくなる。


どこの会社も慈善事業ではないですから、商業にならず倒産してしまってはいけません。でも、本当に良い演者をしっかり薦めていく事をすれば、絶対に何か変わると想うんです。良い演者が、広告料金などといった宣伝費予算が無いというだけでメディアから黙殺されて、気が付くと表現活動を出来なくなってしまうのは、あまりにも残酷すぎる…。


後、高い広告費を払える余裕がある大手の演者側の会社は良いですが、演者が独立企業でやってるような規模が小さい演者側の会社にとって法外とも言える高過ぎる広告費を払うのは本当に死活問題です。充分に稼げている大手出版社は、そういった演者たちに寄り添う事もして良いと想います。もちろん、一生懸命さがなくて下らない作品しか作っていなければ、そんな措置は取らなくて良いですよ。でも、一生懸命良い作品を作っている演者‥特に若手の演者には、その芽をのばしてあげる心‥福祉とまでは言いませんが、育ててあげる温かさを持っても罰は当たらないと想います。


以上、サルでもわかる雑誌広告のお話でした。


おあとがよろしいようで。