『雑誌広告ウワサの真相2016春』

『雑誌広告』について想う事を書いています。
最初に書いたのは4年前で、事あるごとに1年に1回くらいは、その時その時で修正加筆したものを再び出しています。

観て観ぬふりできる事柄ですし、別に暴露でも何でもないです。
ただ、普通に想う事、感じる事を書いていますので、良ければ読んでみてください。
 
 

昔、ネットで音楽雑誌の広告料金と記事のカラクリ疑惑について、演者さんが色々と書いていた事がありました。そして、雑誌関係者が慌てて中途半端な偽善的言葉を、正義ぶって主張していました。「話せばわかる!」みたいなノリで…。論点をズラして疑惑から逃げているだけで、誠に情けない印象しか受けなかったのを憶えています。何度か書いていますが、改めて雑誌に携わる者として何かしら残しておきたいと想います、誰にでも理解できる言葉で。


まず、今から思えば、僕が雑誌人生の中で幸運だったなと想うのは大学卒業後にカルチャー専門誌でなく、大手大衆情報誌、それも、関西版の仕事に就いたという事。働き始めた週刊ザテレビジョン関西版や兄弟紙である関西ウォーカーは大手出版社から発行される大衆情報誌なので、ある程度多くの方が読まれるわけです。つまり、情報がコアじゃないので、多くの方…要は一般国民の方へ伝わりやすい。そこと比べると、カルチャー専門誌は、掲載情報ジャンルを絞っているので、読者層を選んでしまう事になる。さて、何が言いたいのとなるので、次々と書いていきます。


物事を何か立ち上げたり、続けていく場合、資本が必要になります。販売価格収入だけでなく、スポンサーが必要となる場合もあります。例えば、民放テレビ局がCM宣伝を入れるのは、そういう事ですよね。スポンサー=応援団。雑誌も、「この雑誌を応援したい!」という気持ちであったり、「この雑誌は伝わる力があるから、なので宣伝の場として使いたい!」などといった気持ちにより、テレビで言うところのCM宣伝…、すなわち「雑誌広告を出稿しよう!!」と想う会社が出てきます。CMや広告は、定められた料金を納めれば、それで実現されます。ただ、これはあくまで自由な事。


いわゆるCMや広告以上、テレビなら15秒でなく普通の長い放送時間、雑誌なら1ページや見開き2ページでなく、普通の長い特集記事のページが欲しいとなると…、また意味が違ってきます。それは単なるCMや広告でなく、宣伝番組や宣伝記事へと変貌する。あからさまに、そう判断できるモノであれば、何の問題もない。ところが、雑誌でいうと普通の記事に見せかけているものの、実は、お金で買い取られて作成された記事だった場合、話が全く変わってきます。


要は雑誌の純粋な想いとして、演者を応援したいから、掘り下げるページを作成するわけです。それを喜んだ演者側が、感謝して好意として広告を出すのは自然で何も悪くない。もし雑誌側が、「ロングページで取り上げて欲しかったり、表紙にして欲しいのなら、お幾ら万円用意してください!!」なんていう話を前提で演者側に交渉をしたら…。それも…「純粋に応援しているページです!」という様に偽装ページとして読者に提示したら…。もし演者側が、「ロングページで取り上げて欲しいし、表紙にして欲しいので、お幾ら万円を用意します!!」なんていう話を前提で雑誌側に交渉をしたら…。


大衆情報と違い、カルチャー情報の場合は、その作品性の評価を小難しくインテリぶったりして、ジャーナリズムのように世の中へ提示するわけです。雑誌によっては、はっきりと自らを評論家と言ったりもする。よしんば、そのような雑誌がお金によってページを動かしているとなると…、とんでもない事ですよ…。広告記事や宣伝記事は何も悪くないですが、自分たちの純粋な感情で推しているように見せかけといて、実は全部お金で決まってる…、それが大問題なのです。


先ほども書きましたが僕が幸運だったのは、ある程度裕福な大手出版社の大衆情報誌におけるカルチャーページを…、それも東京という喧騒から離れた地方都市の関西で担当した事。だから広告料金を取らず、純粋に自分が良いと想える演者さんの記事を作り続けられた。なので、「宣伝費がないのですが、インタビューをお願いできますか?」などと演者さん側に言われたり、宣伝費不要での掲載を驚かれたりすると…、こっちが驚いたものです。関西の媒体で基本活動する僕は、広告費を必要としない媒体で執筆できている。今まで関わってきた東京のカルチャー専門誌も、広告料金が絡んだ取材でも、取り上げたいものを取り上げる精神に基づいた健全な現場ばかりでした。


某音楽雑誌では、見開き2ページを細かくコマ割りにして、「1コマお幾ら万円」と提示した上で広告掲載を募っている。あの手法は本当にわかりやすいし、悪意を全く感じない。カルチャー専門誌は大衆情報誌と違い、読者を選ぶから部数も違ってくるし、より資金が必要なのもわかる。ただ、お金で魂を…精神を…売ってはいけない。


アメトーーク!」で昔、放送された「芸人ルール」で「誰かのバーターで出演しているタレントは、画面に『この人は、●●のバーターで出演しています』とテロップを出そう!」なんていう最高なルール提案がありました。その手法に乗っ取り、雑誌も心から純粋に推している演者ではなく、広告料金で作成されたインタビューページは、一筆したら添えたら良いと想う。「この●●さんインタビュー記事は、『1ページ=お幾ら万円』の本誌広告料金ルールにより、※※ページ=☆☆万円で●●さん側と合致して作成されたものです」と。


最後にひとつ書きたいのですが、この悪しき伝統を当たり前のように受け止めて、当たり前に交渉してきた一部の演者側の会社も悪いと想うのです。クオリティー云々を置いといて、わかりやすく売れそうな作品しか宣伝しない。そうすると受け取る雑誌などの媒体側も、その悪しき伝統に慣れてしまい、クオリティーの高い演者や作品にアンテナを張らなくなる。


雑誌など色々な媒体が「●●さんを取り上げたいんですけど」と演者側の会社にお願いすると、「●●より★★をお願いしたいんですけど」なんて平気に返されてしまったという話を本当によく耳にします。表現にプライオリティー(順番)を、演者側の会社が勝手に付けてしまう気持ち悪さ…。「★★だけでなく、●●もテメエの会社所属やで!!」と声を大にして言い返したくなる。


どこの会社も慈善事業ではないですから、商業にならず倒産してしまってはいけません。でも、本当に良い演者をしっかり薦めていく事をすれば、絶対に何か変わると想うんです。良い演者が、広告料金などといった宣伝費予算が無いというだけでメディアから黙殺されて、気が付くと表現活動を出来なくなってしまうのは、あまりにも残酷すぎる…。


後、高い広告費を払える余裕がある大手の演者側の会社は良いですが、演者が独立企業でやってるような規模が小さい演者側の会社にとって法外とも言える高過ぎる広告費を払うのは本当に死活問題です。充分に稼げている大手出版社は、そういった演者たちに寄り添う事もして良いと想います。もちろん、一生懸命さがなくて下らない作品しか作っていなければ、そんな措置は取らなくて良いですよ。でも、一生懸命良い作品を作っている演者‥特に若手の演者には、その芽をのばしてあげる心‥福祉とまでは言いませんが、育ててあげる温かさを持っても罰は当たらないと想います。


以上、サルでもわかる雑誌広告のお話でした。


おあとがよろしいようで。