Rest in Peace。

演者以外が使う『RIP』という言葉は大体薄っぺらいというのが持論であり、SNSで乱用される『RIP』が苦手なんて事をこないだラジオで喋った。


その時に『RIP友達』という話もした。


元々はラテン語で、英語では『Rest In Peace』・・・『安らかに眠れ』という意味がある言葉で、訃報の時に用いられる。


要は有名人の訃報時に、たいして故人を好きでもなかったのに野次馬的に盛り上がる奴が苦手と言う事。


フェスや人気ドラマで喜び、あらゆる社会問題に怒り、たいして好きでもない人の訃報に哀しみ、Instagramで食べ物写真をあげる事に楽しむ。


まぁ、全体的に上っ面の興味本位には飽き飽きするが、他人事なんで勝手にどうぞではある。ただ、訃報を野次馬的に取り上げられるのだけが、どうしても苦手だった。


で、『RIP友達』というのは普段あまり連絡ないのに有名人が亡くなった時だけ連絡してくる友達の事。


ほんでもって満足したら、また連絡が無くなるのが『RIP友達』。


最近、黒沢健一氏の訃報もあり、RIP野次馬やRIP友達を嫌な意味で想い出さざるおえなかったが、まぁ、それはそれで良いんじゃないのと流せるようになった。


普段、その人にとって無名人だった人が亡くなった事で、初めて有名人と認識をして、思わずRIP野次馬の対象になり、あまり交流のない友人にまで連絡して情報収集を行ないSNSで反応しまくる。


無念ではあるが亡くなった事で、普段興味を持って無かった人たちが思わず騒ぐ。思わず騒がれるくらいの人生を結果過ごした訳だから、逆に凄い事じゃないかと想えるようになった。


RIP野次馬がRIP友達に連絡しない訃報の方が寂しい。訃報で振り向かせるのは決して素敵な事ではないが、話題にならない訃報より素敵じゃないか。


もちろん、そういう人たちは、すぐにフェスや人気ドラマの喜びや社会問題への怒りや新たな訃報の悲しみやInstagramで食べ物写真あげる事への楽しみに、一瞬で興味は移ってしまう。


その時その時の流行旬である喜怒哀楽が好きなわけであり、そこにしか興味がない。なので仕方ない。


いちいち、こちらが感情を乱されても意味ない。訃報という素敵ではない機会で興味を持たれたとはいえ、今後より興味を持ってもらうための最大のチャンスにしたら良いだけ。


せっかく雑誌やラジオの仕事をしているわけだし、別にSNSでも構わないので、こちらが命日を忘れずに情報を発信していけば、その度にRIP野次馬でありRIP友達を振り向かせるチャンスもあるわけだ。


ようやくポジティブシンキングができるようになった。


その人は亡くなっても、作品は残る。


生きている作品を伝えていけばよいだけ。


クリスマスの季節になれば、7年前の2009年12月24日に亡くなったフジファブリック志村正彦氏を必ずしも想い出す。


当たり前の様に、普通に、またインタビューをしたかったし、ライブを観たかったし、新作を聴きたかった。


でも、たくさんの作品は残っている。


この文章を読んで想い出した方がいれば、是非とも第一期フジファブリックを聴き直してみてください、本当に素晴らしい音楽なんで。


それにしても「RADIO CRAZY」で観た現フジファブリックの演奏は魂こもっていて…鬼気迫っていて…本当にエモーショナルで思わず泣けてしまった。


確実に志村氏の歌は残っているし、まだまだ続いている。


だから、安心して志村氏には『Rest in Peace』して欲しい。


てなわけで前置き長くなりましたが、明日で2016年は終わる。