「鈴木淳史の『ブログでも書いたら』と東京の偉い人に言われたので書いてみますブログ」1周年らしいですよ。
「鈴木淳史の『ブログでも書いたら』と東京の偉い人に言われたので書いてみますブログ」1周年らしいですよ。
去年の3月9日か、始まったの。
1発目、僕は下記のような事を書いていたみたい。
「非常に言い訳がましいやらしいタイトルですが、本当にその通りなんだから仕方ない。
単なるいちライターがネットで何かしら文章を発信するというのは非常に抵抗があり、ちゃんと自分の書きたいこと発信したいことは紙でやってやるなんて意地を張っていたのだが、もうやーめた。
文章が言葉が好きだから、この生業なわけでネットであろうとどこであろうと書けばいいじゃないと思った次第。
本当にこないだ下北沢の蕎麦屋さんで大先輩が何気に「鈴木君、ブログを書けば」と言われたのが心に残っていたのです。
何となくの事しか書けないし、何となくの事しか書きたくなく、その上,友人のみしか読めないmixiが非常に退屈になってきたのです。
それなら多くの人の目に晒される可能性が高いブログなら、より考えて発信できるのではないかと。
まぁ、ウダウダ書いても仕方ない,とりあえず書いてみます」。
紙にこだわっていた僕ですが、言葉を発するならネットでもいいじゃないか、逆にお金の発生する紙では書けないことも書けるんじゃないかと思ったわけですよね。
でも、今やツィッター嵐のブームで、アメリカのキッズなんてブログをもう古いツールと考えているらしい。
僕にとったら最新ツールのブログが、もはや古(いにしえ)…。
時代は早い。
いざブログをやってみると自由度が高いため、内容がぶれることもあるし、不特定多数が読むとわかっていても、反響があった一部の人を意識しすぎてスベることもしばしば。
あんま偉そうな事や、もったいぶった裏話はやらしいなと思ったり、だからといって僕のプライベートを書きすぎてもね(アイドルじゃないんだから)と試行錯誤。
それなりに誤魔化し誤魔化し書いてきて、昨年秋から「ブログ読んでるよ。おもしろいね」なんて言ってもらったりして、有り難くて嬉しいんだけど、また変に意識したりして。
そんな折、雛祭りの日に逢ったミドリ後藤まりこちゃんから言われた。
「ブログ読んでるで。たまに毒にも薬にもなってへん時あるけどな!」
いやぁ厳しい…でも、その通り、目から鱗がピョンと剥がれた。
ちょいとした誤魔化しを流石に完璧に見抜かれていた。
毒を意識しすぎることもなく、薬を意識しすぎることもなく、本当に書きたい事を気持ちを込めて書いたら良いじゃないと、大好きな先輩方のブログを読み直して改めて思ったりする。
真面目かっ!
KenYokoyama氏に「文章を書く人は言葉アレルギーにならないといけない」と先日言われたが、本当にそう思う。
たかがブログ、されどブログ。
気を引き締めて書きたいものだ。
とりあえずはマイコプラズマ肺炎を治すのが先決…って、結局そこでっか!?
まぁまぁ、体が資本でんな。
今季も末永くお願いします。
お後がよろしいようで。