僕の住んでいた街。
余談●吹田。
GW初日、服部緑地公園でのSpringfields '10〜大阪場所〜、オカン玲子が木々を見ながら呟く。
「すっかり成長して」
6歳まで僕は吹田に住んでいて、玲子とよくどんぐり拾いに来ていたらしい、彼女の働き場であった万博公園にも太陽の塔を拝みいったり、エキスポ行ったり、色々したものだ。
玲子は屋台で出ているAKKAなど知り合いへ差し入れのおにぎりを配りまくっている、何してんだ、この人。
朝早くから行っていた僕だが、眠気もなく、優しく繊細な音に身を委ねていると気持ちよい。
ちょいと働いたり、若手と話したり、気が付けば大トリのUAさん。
吹田の先輩、故郷へ錦を飾るじゃないけど、何か、もうゆとりすら感じて、大層な事を軽くやってのけてしまう力強さ…、いつも通り泣けてしまう、そんな春の日であった。
余談●伊丹。
96年年明けて、すぐ僕は伊丹へ移り住んでいた。
12年暮らした芦屋から、地震の都合で、移り住まきゃいけなかった伊丹、99年夏まで住んでいたこの街で、僕はたくさんの音楽に出逢い、ロックンロールにのめり込んでいったのも、この頃のような気がする。
フラワーカンパニーズも、その頃に出逢ったバンドで、なんか日本語ロックンロールの持ついなたさにキュンキュンきたのを覚えている。
ボーカル圭介さんは41歳になり、当時の圭介さんの年齢を僕もとっくの前に超えた事になる。
極限状態での鬱屈を爆発させて開き直って、まだジタバタしている、そんなフラカンのロックンロールが大好きで、6年前「深夜高速」を聴いた時の衝撃は凄かった。
この日のフラカンは「深夜高速」を封印して、次への扉を開く事を高らかに宣言した、そんなライブだった。
「みんな死ぬなよ、俺らも死なないから、みんな死ぬなよ」
最後のMCで圭介さんが絶叫していた。
「生きていてよかった」、常にそう言えなきゃと思いながら、またボロボロと泣いたのでした。
余談●神戸。
玲子が実家芦屋なのもあり、小さな頃より大阪市内より神戸市内へのお出かけが多かった気がする。
王子動物園、須磨水族館、出かける施設も万博を除いては、この辺に偏っていた。
高校も神戸で、3年間垂水へ通い続けた。
なので、神戸はいまだに吹田とは又違う意味でセンチメンタルになってしまう不思議な街だ。
ゴーイングがカミンに変わった今年の神戸。
主催者の松原氏は僕より2個年下なんだけど、本当にアグレッシブで彼といたら、いつも頭がフルスロットルになって喋りが滑らかになる。
このイベントといや、やっぱ大トリはガガガSPなわけで。
僕にとってガガガは疎遠なバンドであったんだが、4年前の「青春狂時代」というアルバムにえらく感動してしまった。
コザック前田氏のパニック障害後初のアルバムだったんだが、そこには衝動溢れるも繊細なパンクが鳴らされており、非常に叙情的な音楽を創る人だなと思った。
カミン当日は清志郎さんの命日だった、すっかり忘れていて、そういや服部緑地で矢野顕子さんが「キヨシちゃんから、もう1年だね。みんなキヨシちゃんの事を忘れないでね」と言っていたのを思い出した。
RCサクセション「金もうけのために生まれたんじゃないぜ」カバーを歌ったガガガ、ちなみにガガガという名前は清志郎さんの「ガッタガッタガッタガッタ!」というシャウトからきているわけなのだが、その日の前田氏の「俺らがバトンを受け取らねばならない!」というMCには、またもやグッときてしまった。
そして、恒例の松原氏挨拶、いつも泣きじゃくる彼だが、この日は伝えたい事があるのに言葉にできないという詰まらせ方で、余計に泣けてしまった、こちらが。
イベント前後は中華も食べられたし、神戸を満喫できた。
余談●夙川。
0428・0502・0504とGW近辺で偶然にもキングブラザーズのライブが3回も観れた。
マージービートでの対バンイベント、カミン神戸シークレットゲストみたいな状態で小さなブースに登場、ヌー茶屋町タワーでのインストアと、三種三様。
ライブハウスであるマージービートでのライブは、最新アルバムの曲が着々と出来上がっている感じだった、特に6分半に渡るキング流スローバラッド「ロマンチスト」の響き方は素晴らしかった。
で、カミン神戸、「西宮王様兄弟乱入会議」みたいな訳わからんクレジットにも関わらず食堂ブースはパンパンで、すぐに入場規制になる。
こないだ若手が「キングって凄いバンドなんですね」と言っていて嬉しかったのだが、きっちり凄さを表現して、それでもブレーキをかけず前へと突き進むキングの姿は、しっかりと多くの人に見えているようだ。
観てもらえばわかるのだが、キングのライブは伝わる、だから現場に来てとしか言えない。
ヌー茶屋でのインストア、音響面決してエエわけではないが、それでも全力で音を鳴らす。
U●J帰りのカップルみたいな普通の新規のお客さんも来ていた、途中マーヤの煽り中に、マイクが入らなくなる。
マイクをささっと投げ捨てたマーヤは客へ耳打ちをしていく、そして自身が何か叫ぶ、が、轟音でもちろん聴こえない。
しかし、耳打ちされる客が少しずつ増え、そのレスポンスでマーヤが何を言っているかがわかった。
「NISHINOMIYA!」
徐々に、そのコールは増えていく、肉声で響き渡る「NISHINOMIYA!」コール大合唱、ついたてで隔離されたキングのインストアライブだが、その衝撃はついたての向こうにも伝わっていただろう。
「NISHINOMIYA!」大合唱、それに何の意味があるんだろうか?、意味なんていらない理由なんていらない、何かしら伝える事の力強さ、そのパワーに僕はまだ脳みそと心をグチャグチャにかきまわれて泣いていた。
来たる5月28日HiGE 2010 「HiGE BROTHERS」という対バンがビッグキャットで催される。
何かドキドキが止まらない、HiGE男前だなって思う、対戦相手でキングを指名するなんて。
この日の互いに敬意を込めた一騎打ちを今から待ち焦がれている。
余談●芦屋。
GW1日もじっくり家で過ごす事はなかった、だから風邪をひいている、マイコプラズマカミングバックじゃなければエエのだが。
そういや、ミドリ妄想ライナーノーツが載ったTOWER誌が店頭に置かれているそうです。
これは全くの妄想で全くのコント的文章なのだが、どこまで真実がわからない人も多いらしい。
それは想う壷で有り難いのだが、そういや昔パーフリが「ヘッド博士の世界塔」発売のとき、番号をふった短いセルフライナーノーツを17種類くらい用意して、適当にこれを組み合わせてレビューを書いてくださいなんていうおちょくり業界資料作った事を思い出した。
繋ぎ合わせサンプル例も書いてあったが、ホンマそのまま繋ぎ合わせて書いた人もいたらしい。
まぁまぁ、真実はレコードの中やライブの現場にしかないわけで、こんな長々した文章を書いといてあれですが、生でしっかり関わろうぜみたいな感じですな。
Ipod聴きながらパソコン画面と睨めっこしているのも悪くないけど、結局広がりはないから。
たいして練る事もなく、丁寧なユーモアつっこみも入れず、一筆書きした本日の文章、とりあえず残り3分の2クールも元気に2010年いきたいものです。
そろそろ衣替えでもしますか、今年の夏は暑くなさそう…、お後がよろしいようで。