毛皮のマリーズ 夜明け前。

毛皮のマリーズの名前は勿論昔から知っていたが、強く意識したのは一昨年春「Gloomy」といアルバムだった。


悲しみや怒りという感情の膿をポップに昇華した凄いロックンロールアルバムだった。


そして、昨年春には遂にメジャー。


ボーカルの志磨君とは共通の知り合いが多かったものの、ゆっくり話したのは2009年大晦日 謹賀魂 楽屋にて。


メジャーでコロムビアに行くという流れから、90年代に活躍された偉大なるコロムビアバンドマンたちについて話をして、盛り上がった。


僕より4つ年下なんだが、非常に90年代カルチャーが好きなんだなって思って。


そして、志磨君の人間性に、より惹かれたのは昨年春のキングブラザーズNEW ALBUM発売時の、彼からのコメント…いや、もはや手紙だ、愛情溢れた手紙。


本当はここに、それを貼り付けたいくらいだが、ぐっと押さえてアドレスにしときます。


皆様是非とも読んでみてください。


http://www.kingbrothers.jp/NEWS/index3.html


常に戦いを挑み続ける真面目で馬鹿正直な男の半生が書かれています、キングブラザーズを通しての半生が。


愛情の入り具合が尋常じゃなく、初めて読んだ時、涙が止まらなくて、周りの人に薦めたもんです。


さぁ、相変わらず序文・枕が長い僕の文章ですが、もう少しお許し下さい。


その後、色々な現場で逢いつつお話しつつ、結局インタビューという現場で逢えたのは昨年10月。


シングル「Mary Lou(メリールー)」発売時ではあったが、話はそこだけに留まらず、バンド論になった。


インディーズからメジャーへ場所を移した事に彼が意識的になっている姿が非常に好きであったし、ライブハウスで揉まれたきた彼がその気持ちを持ち続けたまま、オリコンブラウン管的に天下を獲ろうとしている姿に魅力を感じた。


その時にインタビューしたROCKSでの言葉を一部抜粋させてもらう。


「僕、モンキービジネスも否定しないというか、音楽に罪はないと思っているんで。モンキービジネスが産んだ音楽というのはあって、例えばモンキーズってそうじゃないですか。でも、『デイ・ドリーム・ビリーバー』は誰も否定できないいい曲で。メロディーや生まれた音楽に全く罪はないですよ。何も僕は憎んでないですよ。ライブハウスでロックンロールを生で観て僕なりにロックンロールっちゅうものを捉えて生きてきましたけど、僕の好きなブラウン管やラジオから流れてくる、つまりメジャーな音楽も誰が否定できようと。それで僕は間(はざま)に立って、考えられないくらい憧れたし、泣いたし、悩んだし。僕は最初から職業にしたかったわけですね。例えば、キングブラザーズのステージを観て否定できる人もいないでしょ。あれは本当に壮絶で…。だから、僕は何も否定できないし、愛しているし、大切にしたいんですよ」


「僕の理想とする像があって、それを毛皮のマリーズとするじゃないですか。その毛皮のマリーズを出来る限りに自由にしてあげたいし、立ちはだかるものをぶっ倒したい。大きくしたいとか売りたいとかでもなくて、自由にしてあげたい。『テレビから流れてくるから嫌だ…』とか『ライブハウスの人だから嫌だ…』とか、そういう事で音楽を不完全なものにしたくない。完全な自由な状態で、音楽だけってものを流れさせてあげたい。邪魔なものを払拭したいから、バタバタしてるとこありますね」


毛皮のマリーズの音を聴いた事がない友達が、このインタビューを読んで、志磨君の、この言葉、この考え、この熱き想いに感動していた。


僕が毛皮のマリーズを、志磨君を、心底応援したいと想う理由が、ここに全てある。


このインタビューの3週間後、つまり10月末に僕は2011年1月発売の最新アルバム「ティン・パン・アレイ」を聴くことになる。


その10月末、インタビューをすることに。


出来上がったばかりで、まだ歌詞カードもなく、アルバムインタビューも一発目だという。


ふたりとも想いはあれど、上手に言葉ができなくて、「いいよ〜!」「そうでしょ!」なんていう言葉が続き、脱線する中、僕がたどり着いた言葉が「冬のアルバム」…、それも光が射してくるイメージの。


その時は互いに小沢健二サニーデイサービスの名前が出たんだが、その時に出せなかった言葉が、年越し活かされる事になるとは。


って事で結局、序文枕だけで文字数パンパパンだな…、続きは後編にしよう。


必ず近々アップしよう。

この画像に至る経緯を。


そう、1月29日土曜日の夕方と夜、梅田のタワーレコード2店舗で起きた出来事を。


では今日は、この辺りで。


お後がよろしくないようで。

BGM=恋はいつも幻のように / ホフディラン