玲子さん。

十日戎の日、とある阪神地域の居酒屋で新年会が行なわれていた。


書初めなんていう催しもあって、僕も書いた。


「玲子越え」


何気に書いた一言だが、その場にいた全員から「無理〜!」と大バッシング。


いや、何もそこまで…。


まぁ、考えてみれば不思議な関係で、別に、いわゆる仲良し友達親子ではないし、だからといって会話ゼロ親子でもない。


話す事といえば、他愛もない事だが、あれがおもろい、あれがおもろくないとか、情報交換しあったりして、結構その情報を重宝したりしていて。


本が好きになったり、カルチャーに興味を持つようになったのも玲子のお陰だし、本当に僕が好きなものにはお金を使ってくれた。


プロレスとかクイズとか雑学とか諺辞典とか伝記とか、本当に色々雑誌や本を買ってくれたし、連れて行ってくれたし、技もかけてくれたもんな…1回失神させられたが…、それは又別の話にしとこ。


僕が興味を持ち始めたロックンロールにも、凄い興味を持ってきたし。


お笑いもドラマも、よう観たなぁ、一緒に。


個人的にほんまおもろいと思うし、けったいやなと思うので、周りにも話し出して、色々僕の周りに人を紹介したら、皆さん面白がってくれて、ほんま丁寧に相手をしてくれる、そこはほんまに感謝なわけで。


ライブハウスでたまにお客さんに声を掛けられたりするのだが、大体がこうだ。


「鈴木さん、玲子さんさっき見ました!」


「鈴木さん、玲子さん来てないんですか?」


完全にひとり歩き。


そんな事を考えながら、ふと思い出しを。


僕にはいわゆるわかりやすい反抗期はなかった。


いや、だって喋ってるとおもしろいし心地もいい。


ただ、徹底的に玲子が怖かったというのもある。


我が家には親子喧嘩という言葉はない。


玲子いわく、喧嘩というのは対等な者同士が行ない勝敗を決めるものであり、玲子と僕は対等なものでない、ただ僕に対して怒って戒めてるだけだというのだ。


本当とにかく怖い。


今だって世界で一番怒らせたくない人No1。


スリッパでどつかれまくったし、ストンピングで玄関から蹴り落とされた事もあるし、勉強しないでコロコロコミックを読んでたら奪われて、コロコロコミックを破り裂かれた事もあった。


コロコロコミック…あの分厚さだよ…、玲子はプロレスラーなのかと思ったよ。


怒られ時間が長引くと裏山へ車で連れて行かれ、置いていかれそうになったこともある。


ある夜、その日はありえないくらいに野良犬が鳴いていた。


近くには不良巣窟と呼ばれていた高校もあり、余計に怖かった。


泣き喚く僕。


「野良犬…不良…!!!!!」


叫ぶ僕に、玲子は言い放った。


「私なら勝てる!!!!!!!!!」


未だに忘れない強烈ひとこと。


この人、狂ってる、絶対に逆らったらアカンと思ったもんだ。


まぁ、そんなこんなでマザコンなんてわかるやすく言われる僕であり、もう今更何も思うこともないのだが、唯一大変な時代があった。


それは1992年僕中学3年生「ずっとあなたが好きだった」というドラマ。


冬彦さんですよ、冬彦さん。


中学生くらいの世代は残酷なもので、自分自身の弱さを知っている人間を排除しようとする。


例えば小学生のときに親子ぐるみで仲良かった連中も中学になると、その歴史を消そうとする。


「俺、親好きじゃねえ!俺は俺!」…みたいな悪い人たちの感覚。


別にどうでもエエやんけと思うが、特にヤンキーなんかにとっちゃ、そこは命綱。


そして冬彦さんブームもあり、僕は一気に集中砲火を浴びる。


「おい、冬彦マザコン野郎!」ってね。


あのさ、あたしゃ玲子の指から出た血を口で止血もしねえし、木馬にも乗ってないよなんて思いながらも、彼らは止まらない。


一度、隣町のサティで夏場、玲子と呑気に買い物をしてる時、ヤンキーチームに遭遇しかけ、必死に隠れたものだ。


彼らだって母親好きなはずなのに、何でそんな事するんやろなって思いながら、まぁ時間がたてばわかるさ、そう根拠ない思いが、その頃あった。


僕はほんまに玲子がおもろいと思うし、楽しいから一緒にいるだけなのになって。


絶対に僕の考えは間違えてないって思ってた。


結果、間違いじゃなかった。


で、そんな騒動も終わり、高校のときに松本人志「遺書」で母親について書かれていて、大まかな引用で申し訳ないが、要は「マザコンって何なのかわからないが、母親を大切にする気持ちをそうよぶんであれば、俺はマザコンだろう」…、この言葉に救われたのを覚えている。


って言っても、そんなに大袈裟にも僕も捉えてなかったっちゃ捉えてなかったんだが、意外とエエ加減なんで。


大人になってからはリリーさんの著書「東京タワー」もあり、母親を大切にする事の重要さが、ちゃんと伝わったような気がして嬉しかったのを覚えている。


オカンが亡くなった時に、それに関係なく編集者が原稿締め切りを伝えてくるシーンは、いつだって泣けてしまう…、まぁ、それは書くと長くなるからアレだが…。


‘11年2月2日33歳(称して「112233祭」)を迎える事もあって、こんなだらだらと色々書き連ねてるのかも知れない。


玲子ファンの皆様からは「玲子さんをもっと大切にして!」とよく怒られるし。


鈴木魂の時なんて無理矢理前説で呼んどきながら、家での台本練習で間が悪い玲子に、「こんな時に劇団や芸人やバンドって解散するんだろうね!」と訳わからない調子に乗ったセリフを吐いて、呆れさせた事もある僕。


ぐっと怒りを我慢して、本番でほんまにスパークしてくれはりましたからね。


まぁ、客観的に見ても凄くけったいでおもしろい63歳やと思います。


よう、してもろてます…何か他人行儀だけど。


「あんたはいつまでも脛齧って、私を利用して」


よく言われます、ほんまその通り。


うんうん、まぁ何だ、玲子越えなんて、まぁ無理ですよね。


てかウチは母子家庭でね、後から玲子に「中学生や高校生のときに、あんたが万が一グレてしまって、世間に迷惑をかけたら、刺し違えてでも葬ろうと思ってた。それが親の責任だ」なんて言われた時は、流石に泣いてしまいましたが。


何だろう、まとまんねぇな、こういうテーマは。


でも、ほんま玲子をみんなおもしろがってくれて大切にしてくれて、ありがたいです。


息子が馬鹿なもんで。


「愛だろ、愛っ」…、なんて陳腐に逃げたりしてね。


なら書かきゃエエのになんて思いながらも、何か書きたかったのです、このタイミングでね。


あっ、もう時間ないから、この辺りで。


何で時間ないかって?!…玲子が今から雑誌の取材を受けるんだよ、これ本当。


お菓子について語るらしいよ、何してんだ、ホントこの人は…。


僕立会いでいくんだよ!…何かおかしくねぇか!、わしゃマネージャーか!


なかなか にぎやか まだまだ これから。


2011年冬、まだまだ始まったばかり。


てな訳で、「今日の玲子」、この辺で終わらせてもらいます。


お後がよろしいようで。


BGM 毛皮のマリーズ「愛のテーマ」