16。

阪神淡路大震災から、16年経った。


あの時、僕は16歳。


家は全壊した。


奇跡的に家族全員無事。


僕なんか寝惚けていたから、大変な事にいまいち気付かなかったし、糞餓鬼だったから、玲子の苦労なんて知らず、学校が休みなって良かったなくらいしか思っていなかった。


非日常を勝手に楽しんでいるというか。


ひとりの知り合い宅を拠点としながら、垂水の学校への近さを感じて、僕ひとり友人2軒くらいを自由に渡り歩いていた。


芦屋から垂水まで行くのには、必ず前のりが必要だったし、昼間に学校へ終わっても、芦屋付近へ帰ってきたら夕方だった。


電車、徒歩、バスあらゆる手段を使ってだ。


春先から1年仮設住宅でも暮らしたが、それも非日常気分。


本当の意味での大変さなんて全然わかってなかった。


今回の大地震で大阪も少なからず揺れた。


ビル15階の作業場にいたんだが、尋常じゃなく揺れた。


16年前は感じなかった恐怖を感じた。


どうなるんだろうって不安と恐怖で、机の下で震えた。


で、大阪でこうという事は、震源地はとんでもない事になっているんだろうなとも思った。


テレビで被災地を観るたびに、今、自分がこの歳で被災したら、ゼロから立ち直れるのかと考えてみた。


そして、阪神淡路大震災もゼロから立ち直ったんだと思った時、自分の意識の低さを感じた。


祖母と僕の命の安全がわかった後、玲子がした事は、僕の制服を探し当てる事だったらしい。


今回、玲子と地震の話をした地元先輩から聞いた。


そういえば、そうだったような気がするし、その時は、特に何も感じなかった。


でも、言われてみると凄く突き刺さる。


今、自分に何ができるか。


カルチャーに関わる者として、カルチャーが何をできるか考えるか、本当のところ、よくわからない。


自身が発信する人たちは、どうしようもないくらいの無力感や虚無感を感じながら考えているだろう。


そして、僕はカルチャーが発信されてこそ、自分がやるべき事があるわけで、自身が何も発信していない事を改めて気付かされ、より、よくわからなくなっている。


3/18に心斎橋サンホールでギターウルフのツアーライブを観た。


キングブラザーズがゲストで、僕はリハーサルから観さしてもらっていた。


開場前、関わる人全員を集めての挨拶でセイジさんは言った。


「ツアーやる事決めました。


キングブラザーズありがとう。


キングは阪神淡路大震災で震災の事がわかってると思う。


でも、俺らはわからないっす。


ロックンロールやるだけっす。


ありがとうっす」


涙が止まらなかった。


わからないと言える潔さ、そして自分がやれる事を当たり前にやるという姿勢の潔さ…、その場にいた全ての人が思うところあったと思う。


実際、その日のライブでマーヤ君は、この話をしていたし、別のライブでも話をしていた。


「ロックンロールに何ができるかわからなかったし、ビビッてた。でも、セイジさんの言葉で救われた」と。


じゃあ、この人たちを支える事が僕の役目なんだし、そして、この人たちのやっている事を伝えまくろうと、今まで以上に。


そう腹を括れた。


義援金を考えるロックンローラーも出てきた。


3/24の姫路でのライブで、SCOOBIE DOのシュウさんは言った。


「こういう事をするとすぐに偽善だとか言う奴いるけどさ、善だろうと偽善だろうと届けば一緒なんだよ!


で、ロックンロールをやるだけなんだよ!」


自分のやれる事をみんながやり始めて、自分のやってきた事をみんなが今まで以上の強い気持ち強い愛でやり始めた。


馬鹿騒ぎではなく胸騒ぎを信じて、やっていくしかない。


こんな時だからこそ、自分のやれる事を、てか、それしかないから。


そう思える3月の終わり。

BGM=SCOOBIE DO「最終列車」