雑誌。

twitterで、LOST AGEの五味さんが音楽雑誌の広告料について書いたらしいですね。


ON TIMEで敏感にtwitterを追いかけているわけじゃないから、後から知って、その反響に驚きました。


雑誌に携わる者として、遅ればせながら何かしら書きたいと想います。

まず、今から思えば、僕が幸運だったなと想うのは、カルチャー専門誌でなく、大衆大手情報誌それも、関西版で仕事を始めたという事です。
 

まぁ、その隠す事でないので書きますが、僕が働き始めたザテレビジョンやウォーカーというのは大手出版社であったり、多くの人が興味を持つ大衆情報だったりするので、ある程度売れるわけです。


つまる、情報がコアじゃないので、多くの一般の方へ伝わりやすい。


そこと比べると、カルチャー専門誌は、焦点を絞っているわけですから、読者を選ぶわけですよね。


さて何が言いたいかとなるので、次々書いていきます。


物事何か立ち上げたり、続けていく場合、資本が必要になります。


販売価格収入だけでなく、必要な場合は、要はスポンサーが必要となる。


例えば、民放テレビ局がCM宣伝を入れるのは、そういう事ですよね。


スポンサー、要は応援団。


雑誌も、この雑誌を応援したいであったり、ここは伝わる力があるから宣伝の場で使いたいなんていう気持ちから、テレビで言うCM宣伝、すなわち雑誌広告をうとうと想う会社が出てくる。


CMや広告は定められた料金を納めれば、やらせてもらえる。


ただ、これはあくまで自由な事。


例えば、いわゆるCMや広告以上、テレビなら15秒でなく普通の長い放送時間、雑誌なら1ページや見開き2ページでなく、普通の長い記事欲しくなると、また意味が違ってくる。


宣伝番組、宣伝記事へと変貌する。


あからさまに、そうわかるものであれば、何の問題もない。


ところが雑誌でいうと、普通の記事に見せかけて、実は、それがお金で買い取られて作られた記事だった場合、話が違ってくる。


要は雑誌の純粋な想いとして●●を応援したいから、掘り下げるページを作成する。


それを喜んだ●●側が、感謝して好意として広告を出すのは自然で何も悪くない。


もし雑誌側が、「取り上げてほしかったら、こんだけのページを欲しかったら、表紙にしてほしかったら、お幾ら万円必要です!」という話を前提でしたら…。


それも純粋に応援しているページです!という様に打ち出したら…。


もし、掲載してもらう側が、「お幾ら万円出すから、取り上げて!、こんだけのページを!、表紙を!」と言い出したら…。


大衆情報と違い、カルチャー表現の場合は、その作品性の評価を小難しくかっこつけたりして言うとジャーナリズムのように出すわけです。


雑誌によっては自らを評論家と言ったりもする…、そんな雑誌がお金によってページを動かしているとなると、とんでもない事。


広告記事、宣伝記事は何も悪くないが、自分達の感情を入れて純粋に推しているように見せて、それが全部お金で決まっていたら…という事が問題なのです。


先ほども書きましたが僕が幸運だったのは、ある程度裕福な大衆情報誌のカルチャーページで広告料を取らず、純粋に自分が良いと想える演者さんの記事を作れた事。


だから、後に「宣伝費がないのですが、インタビューお願いできますか?」とかなどと言われたり、宣伝費不要で掲載を驚かれたりすると、こっちが驚いたもので。


関西の媒体で基本活動する僕は、カルチャーページに対して広告費を必要としない媒体でやれているし、東京の関わったカルチャー誌も取り上げたいものを取り上げる精神で動いてるものが多かった。


某音楽雑誌では、とある2ページを細かくコマ割りにして、1コマお幾ら万円と提示して、払ってもらえるなら広告を掲載しますよと募っている。


あれは、本当にわかりやすい。


物を作るのにはお金がかかる、だから応援という意味での金銭支援は何も問題ない。


ただ、お金で動いているだけなのに、あたかも純粋に推してる顔をして記事を作る雑誌が本当にあるのであれば勘弁して欲しい。


カルチャー専門誌は大衆情報誌と違い、読者も選ぶから部数も違ってくるし、より資金が必要なのもわかる。


ただ、お金で魂を精神を売ってはいけない。


こないだのアメトーク!芸人ルールじゃないけど、雑誌の心から純粋な推し演者ではなく、広告料金宣伝料金で作っている演者ページは、そう一筆したら良いと想う。


「この●●さんインタビュー記事は、1ページ=お幾ら万円の本誌ルールにより、▼▼ページ=▲▲万円で合致して作成されたものです」と。


最後にひとつ書きたいが、この悪しき伝統を当たり前のように受け止めて、当たり前に交渉してきた演者側の会社(この場合は、メジャーな大きな会社を指す)も悪いと想う。


表現クオリティー云々置いといて、わかりやすく売れそうなモノしか宣伝しない。


そうすると受け取る雑誌などの媒体側も、それに慣れてしまい、自ら表現クオリティーの高いものにアンテナを張らなくなる。


「●●を取り上げたいんですけど」とお願いして、会社側(この場合は、メジャーな大きな会社を指す)から「●●より▲▲をお願いしたいんですけど」なんて、平気で表現にプライオリティー(順番)をつける演者側の会社がいるなんていう話もざらにある。


●●もお宅の会社(この場合は、メジャーな大きな会社を指す)だろうよ!と言いたくなる。


慈善事業じゃないから、商業にならず倒産してしまってはいけないが、本当に良いモノをしっかり薦めていく事をすれば、絶対に何か変わるはずである。


良いモノが、宣伝費がないというだけでメディアから黙殺されて、気が付くと表現活動をできなくなってしまうのは、あまりにも残酷すぎる。


てなわけで2000字ほど使って、twitterで話題に上がっていた事を書かせて貰いました。


サルでもわかる雑誌の成り立ちでした。


おあとがよろしいようで。